キープ・オン・ムーヴィン その10 作:まりえしーる 発表日: 2005/10/28 09:00

霊場、恐山。見方によっては良く知られた観光地のひとつに過ぎない、とも言える。受け止め方は、訪問するひとのキャラクター、体調、そのときの気分などに左右されるだろう。人を死なせる前だったら、あたしはどう感じただろう、とコナツは思う。これがもし、幽霊のひとに会う前だったら、兄が死ぬ前だったら、もし今手をつないで歩いている少年がいなかったら。

硫黄の匂い、たくさんの風車が回る音、カラスの鳴き声、地獄を思わせる光景、地下から轟く水流の音。

ふたりは恐山に圧倒されている。確かにここは他とは違う。違う場だ。霊場。霊たちの場所。コナツは自分の弱い部分に恐山が突き刺さってくるのを感じる。少年を見る。青い顔をしているな、こいつは。なにが見えているんだろう。なにが聞こえているのか、この少年には。

コナツは無数の供物を見た。幼くして死んだコドモに捧げられたたくさんの玩具を見た。供花を見た。それらはすべて、この世に生きるひとびとの仕業だ。生きているひとたちが死者に寄せる思いの底知れぬ深さを見る思いがする。霊の気配を圧倒してしまうような、生ける者たちの想念が、息を詰まらせるほどの濃厚さで恐山を覆っているのを感じる。

死別したひとへの愛、執着、未練。かけがえの無いひとを失うこと。愛するひとが欠落している世界、今では不完全になってしまった世界、そこに取り残された者たちの思い。その強烈さがあたりに立ち込めている。地獄は、ここにある。賽の河原に石を積み上げることはできる。血の池は手を伸ばせば届く。でもあたしたちの手は、どれだけ遠くに伸ばしてみても、死んだひとには絶対に届かない。

コナツは自殺した兄のことを思い、そして、自分が死なせた男と、その家族のことを思い出さずにはいられない。思い出さない日は一日も無かった。一生続くんだろうな。あたしも、もう、死んでるようなものだろうか。

愛するひとと死別する。それは残酷な出来事だけど、思い出は残される。ひとはみんな死ぬ。誰もが死によって引き離される。だけどいっしょに過ごした時間は永遠の記憶だ。

でも、今あたしの隣にいる、この少年は。この少年には、なにがあるというのだろう。最愛のひとが生きていた時を、まったく知らないであろう、この少年には。

「ねえ」。コナツは少年に向かって立つ。「はい」「ひどいことを聞いてもいいかな」「どうぞ」

「出会う前に死んでしまったひとを愛するのって、耐えられるものなのかな、そんなつらいことに、ひとは」

沈黙。

固い表情をした少年の口が動きかけたところで、コナツは彼を抱きしめる。

「いい。いいの。何も言わないで。ごめんね。ごめん。何も言わなくていいの。ひどいこと聞いてごめんなさい」

少年が無言のまま自分の背中に腕を回してくれるのをコナツは温度によって知る。自分の暖かい涙が少年の胸を濡らすのを見る。ひとは熱を発する存在だ。あたしたちは、いつか、冷たくなる。それほど遠くない未来に。それまでの間は熱を交換しあっていたい。

ふたりは寄り添って地獄めぐりを続けた。


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