キープ・オン・ムーヴィン その9 作:まりえしーる 発表日: 2005/10/27 10:00

「ふう。一日が長いね」「運転、お疲れ様でした。ちょっと横になって。マッサージしますよ」「かたじけない」

コナツと背の高い少年は今、ホテルのツインルームにいる。恐山に行く前にひとやすみするために規定の時間より早くチェックインできるよう事前に頼んであった。

「ダブルがなかったんだ、このホテル」「はあ。各自ひとりでのびのび眠れ、と」「眠れないよね、ひとりじゃ」「ひとりじゃねえ」「のびのびさせられちゃ寂しいよね」「そーですよねメーワクですよね、って、俺たち、アタマ腐ってますかね」「いやあ、フツーだよ、フツー」「フツーな振る舞いですよね、これって」「あ。もうすぐ出かけるから、ちょっとだけだよ」

結局外出前にシャワーが必要な事態になってしまった。どーもイカンな、とコナツは考える。ま、いっか。

「いっしょにシャワー浴びて洗いっこすれば時間の短縮になるよ」「スマートな解決ですね」

だが、時間の短縮にはならなかった。浴室でじゃれあってしまった。イカンな。昼食は目的地で取ることにして、ふたりはホテルを出発する。いよいよ恐山だ。

山道を歩く途中、コナツはフロントで貰った観光マップを見ようと立ち止まり、少年との間に距離ができた。昼は蕎麦にしよっか、と言いたくてコナツは早足で歩き少年に追いつく。声をかけようとしたコナツは、少年がぶつぶつ何かしゃべっているのに気付いて黙る。

「…すげえな。アズサさん、見てよ。ニホンの三大美林のひとつなんだよ。このヒバの原生林。あれがヒバだよ。キレイだ…」

コナツの気配を察知した少年はそこで口を閉じ振り返り、固まっているコナツに「どーしたの?」と尋ねる。「あ。ううん。なんでもない」

ふたりはしばらく無言で歩く。「ねえ。さっき誰かと話してたのかな」「え。あ、見た風景をコトバで表現するレンシューしてた」「なにそれ」「リポートっつーか、コナツさんがライターのアシスタントするかもって聞いたから、俺もなんか書く立場だったらどーすりゃいーかなって思って試してみた。うまくいかないや。すげー、と、きれい、を連打するだけ。コトバたくさん覚えなきゃ文章なんて書けねーなって思い知った」「まるで誰かと会話してるみたいだった」「会話体ってやつだから」

少年はウソをついている、とコナツは思う。少年はあたしがウソだと思っていることを知っている、とも思う。

「あのひと」は今、少年といっしょにいるんだろうか。あたしには見えないけど。それとも、少年には、あのひとに話しかけるような独り言の習慣があるだけなのか。

冷水という湧き水を飲める場所に出る。名前どおりの冷たさだ。コナツは手を洗いながら聞く。「アズサさん、って、もしかして、あのひとの名前なのかな」「うん」

思い切って聞いてみたものの、コナツはその先に進むことができない。聞けないよ。そんな心の奥まで。少なくとも、今は。

ふたりは恐山を目指して再び歩き始める。

あたしはなんでこいつと歩いているのかな。どうしてあたしはこいつしかいないって思ったのかな。わかってるさ。自分と近いって思ったからだ。殺人者のあたしを、この少年は、この死者の霊と暮らしている少年は、理解してくれるんじゃないか、理解とまでいかなくても、受け入れてくれるんじゃないか、他に誰もわかってくれるひとがいなくても、この少年だけは。

コナツは少年の手を探る。少年の大きな手がコナツの手を包んだ。

ふたりは足を進める。硫黄のニオイが漂い始める。恐山が近い。見上げると、少年の顔つきが変わってきている。コナツはそう感じる。

赤い橋が見えた。太鼓橋という反橋。下を流れるのは正津川だが、橋の袂に記された文字は三途の川。罪を犯した人間は渡れない川。あたしは罪人です。殺人者です。不倫相手とここにやってきました。

「私には反橋がおそろしく高くまたその反りがくうっとふくらんで迫って来たようにおぼえています」

橋を渡りながら少年がなにかを暗唱した。「なにそれ」「川端康成」「この橋の小説?」「いや、大阪のハナシ。反橋を見ると思い出すんだ、このフレーズ」

橋のソリがふくらんで迫って来る、か。あたしもコドモだったら、この橋を怖がったかも。コナツはアーチ状の橋の頂点で立ち止まり、後ろを振り返る。さらば、現世。

ふたりは橋を渡り、無言で歩く。カラスの鳴き声が空に響く。受付で入山料ひとり500円を払う。やはりここは現世であったか、とコナツは思う。有名観光地であることは間違いない。誰もが気軽に訪れることができる場所だ。なのに、なぜあたしは神経の高ぶりを抑えられないでいるんだろう。少年の表情は、なぜこんなに固いの。

ふたりの行く手に荒涼とした空間が見える。ここが恐山だ。


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