キープ・オン・ムーヴィン その6 作:まりえしーる 発表日: 2005/10/24 11:00

コナツの兄はアパートの近くにある団地の屋上から投身自殺していた。屋上には靴と遺書が残され、遺書には失恋をほのめかす内容が書かれていた。失恋。コナツには心当たりが無い。

自殺したがっていたあたしを、ずっとそばで支えてくれたアニキが、自殺。なんてこった。

司法解剖で不審な点は見つからず、警察は犯罪性の無い自殺と断定した。

アパートには睡眠薬と頭痛薬があったという。アニキ、頭痛と不眠に悩まされていたのかな。あたしは自分のことに夢中で、アニキの異変にはまったく気付いていなかった。あたしの世話から解放してあげようと思ってアパートを出たのに。こんな結果になろうとは。

通夜に訪れた兄の勤務先のひとたちの何人かと話ができたが、わかったのは死の数日前から発熱を理由に会社を休んでいたということくらいだった。それまでは特に変わった様子はなかった、と。

「兄にはおつきあいしているひとはいたんでしょうか」「プライベートは知りませんが、会社ではそっち方面のウワサは無かったと思います」「そうですか」

火葬の後すぐに初七日法要が行なわれ葬儀は終わった。突然の兄の死から続いていた慌しさが通り過ぎたとたん、コナツは自分がからっぽになってしまったように感じる。実家にいても、もう自分がすることは何もない。コナツの親はふたりとも兄弟が多く、しかも仲がいい。急に老け込んでしまった両親のことは世話好きの親戚たちにまかせ、コナツは自宅に帰ることにした。

マンションに戻るのは5日ぶりだ。無理やり押し込まれた雑多なチラシが溢れて、住人の不在を世界に主張しているかと予想してたのに、何故か郵便受けはカラだった。あいつがマメに来てくれて、ゴミを取り出してくれてたのかな。風変わりな気の使い方だ。あいつらしいや。コナツは部屋に入ると喪服のまま床に座り込んでしまう。疲れた。

ぼーっとしたまま30分ほど経過した頃、背の高い少年が部屋に入って来た。実家を出る時に「これから帰る」とメールしておいたけど、まさか来てくれるとは。コナツの心が乱れる。少年は何も言わずにコナツに寄り添って座る。コナツは少年の腕の中でしばらく泣いた。

「来てくれてありがとう。ごめんね。無理に呼び出したみたいで」。少年は無言のままだ。やさしいや。あったかいな。このままでいさせて。もう少しだけ。

コナツは兄の死を知らされた日以来初めて落ち着いた気持ちになれた。今日までのことを少し客観視する余裕が生まれる。

あたしはアニキのこと、何も知らなかったんだな。約半年ふたりきりで暮らしてたのに、ひどい妹だ。最初の駅での事件のせいで周囲の視線に耐えられなくなったあたしを、アニキは実家から抜け出させてくれた。アパートを見つけていっしょに住んでくれた。小さい頃からお互いに無視しあっていた兄妹なのに、突然あたしのために、あそこまでしてくれるなんて。意外過ぎるやさしさに驚いたけれど、やっぱりアニキはアニキなのかな、キョーダイの絆ってものなのかな、血縁って凄いなって思った。でも、やっぱりあれは、不自然過ぎたような気もしてくる。あたしが事件の夢を見て半狂乱になって死にたいと騒いだ夜には、隣のフジノを呼んできてくれたっけ。助かったな。フジノの話は全然耳に入らなかったけど。それから幽霊のひとが来てくれて、あたしを諭してくれて、で、フジノとああなっちゃった。なんでフジノと、って今は思うけど、あのときはフジノが必要だった。フジノがいてくれて救われた。でもあの夜、なんでアニキは引越しの挨拶をした程度の、知り合いともいえないようなフジノに助けを求めたりしたんだろ。凄い機転だったな、結果的には。けど、不自然な行動のような気もする。あたしが2度目の事件の犯人と、自分でもよくわからない衝動にかられて獄中結婚するって言い出したとき、アニキは驚いたけれど反対はしなかった。あたしがアパートを出ると言ったときも、アニキはすんなり同意してくれた。あの寛容さ。拍子抜けするくらいだった。いったいアニキは何を感じ何を考えていたんだろう。

あたしはアニキのことを何も知らない。知らないままでいいんだろうか。このまま日常に戻っていいものだろうか。ひとたび日々の暮らしが始まってしまえば、死んだひとのことは、美しい記憶として固定されてしまうだろう。あたしとアニキの距離は、永遠に今のままだろう。

コナツは少年の胸から顔を上げる。「あたし、恐山に行ってくる」「はぁ?」

「なんか、気持ちの整理ができるんじゃないかって思うんだ。別に恐山になにがあるってことじゃないんだけど。でも。恐山が閉山するまで後一週間あるの。今なら行けるの。これって、このタイミングって、今行けって言われてるような気がするんだ」「誰に言われてるの」「そんなのわかんないよ」

少年は表情を変えずあっさり言う。「じゃ、俺もいっしょに行くわ」「はぁ?」


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