キープ・オン・ムーヴィン その4 作:まりえしーる 発表日: 2005/10/20 09:00

花屋の定休日なので遅めに起きたコナツは洗濯機を回しながら今日のプランを立てていた。午後にはガッコ抜け出したあいつが来る。楽しみ。夕飯は何か料理して食べさせてやろうかな。料理、か。リスク大きすぎるかな。でも覚えなきゃ。先に買い物に行っとくか。

あ、今日の分飲んどかなくっちゃ。コナツがグラスに注いだ牛乳でピルを飲んでいると、誰かの訪問を告げるチャイムが鳴った。「はい」とインターホンで答えると、返ってきたのは意外なコトバだった。

「セトと申します。先日コンビニで助けていただいた男の子の母です」

コナツは対応のしかたに迷ったが、結局部屋にセトさんを通すことにした。ありがとうございました、いいえ当然のことをしただけです、といったフォーマット通りの受け答え、お礼の品、おそらく和菓子、の授受などの儀式を経て、ふたりは今紅茶を飲みながら会話をしている。

セトさんと名乗る女性は30歳くらいだろうか。主婦というフンイキではないような気もする。でも別段特徴があるわけでもない。セトさんの職業はライターだという。

「ライター。本をお書きになってるんですか。エッセイとか」「いえ、雑誌の記事をおもに。エッセイストというよりはジャーナリスト寄りの雑文屋です」。コナツは何も言ってないのと同じだな、と思う。なんだかわからないや。

セトさんは「日本の霊場めぐり」という週刊誌の連載の企画が持ち上がっていて、現在構想を練っているところである、アシスタントも探している、という。これは具体的でわかりやすい、でもあたしはそろそろ買い物に行きたいな、とコナツが考えていると、セトさんの様子が変わってきた。

「実はあなたにお会いして、大変強い印象を受けました。私は、ほんの少しですが、霊感があるんです。記事にはいっさいそんなハナシは書きませんけど。今度の企画も、編集のかたが、私の霊感に興味を持ったところから始まったんです」「はあ」

「失礼かもしれませんが、コナツさんからは霊的なものをとても強く感じます。会った瞬間に、ああ、このひとだから死にかけた息子を救えたんだ、と思いました」「はぁ?」

「コナツさんは普通のかたとは大変違った経験をお持ちのかたかと推測します」

確かに。でもこのひとにそんなハナシしていいもんだろうか。話す必要があるだろうか。

意図したことではないが、コナツは男をひとり殺している。そのことへの罪悪感から自殺を考えたが、なんと幽霊女に助けられた。その後、もうひとり男を殺しかけた。そしてその男と獄中結婚した。現在は夫のある身でありながら不倫中、しかもその相手は、よりによって幽霊女の恋人である男で、なんとまだ高校生だ。追い討ちをかけるがごとく、その少年には婚約者がいるという…。

こんなとんでもないハナシ、初対面のひとに、いーや、親しい友人にだってできるわけない。

「コナツさんのそばに、恐ろしく強い霊がいませんか」「え。いるんですか」「つい先ほどまでコナツさんといっしょにいたような感じがするんです」

「実は半年ほど前に、女性の霊に助けられたことがあります」「え。そんな前に会っただけですか」「はい」「それでこんなに強く感じるとは」。セトさんは考え込んでしまった。

「本当は、霊に助けられたというお話を伺いたいキモチでいっぱいなんですが、初対面でそこまで求めるのは、あつかまし過ぎますね。自分のことを話します。私は亡くなったひとの声を聞きながら仕事をしています。死者のコトバを伝えるために文章を書いているんです。コナツさん、私のアシスタントになっていただけませんか」

「はぁ?」

「たぶんコナツさんは、私ごときが雇えるような人物ではない、とは思うのですが。でもこれがコナツさんのきっかけになるかもしれません」「さっぱりわかりませんが」

「これ、私の名刺です。アシスタントの件、考えてみていただけませんか。おそらく5月の後半に最初の取材に行きます。場所は恐山です」「オソレザン」「はい。もし気が向いたら連絡してください。お断りの電話でも結構です。仕事抜きでも、できればおつきあいしていただけたら、と願っています」

名刺に書かれたフルネームはセト、読めないや。「ミショウ。ミショウと読みます」。セトさんは立ち上がった。そしてバッグから週刊誌を取り出しコナツに手渡す。「これに私が書いたものが載っています。お暇があったら読んでみてください。アシスタントの件、よろしくお願いします」

「あ、ところでどうやってあたしの部屋を見つけられたんですか」「ムスコから、このマンションであなたを見たと聞ききました」「いえ、どうして部屋がわかったのかと」「郵便受けの名前を見て、ああこのかただ、と感じたんです」「はあ。そーですか」

コナツは玄関でセトさんを見送る。セトさんはコナツの胸のあたりを眺めて何かを思い出したようだ。「ムスコが失礼な呼び方をしててごめんなさい。やめさせます。でもお会いしたら、あんな呼び方をしたくなるムスコのキモチが少しわかりました。ステキです。では、ごめんください」

なんなんだろう。小隊長の件はともかく。コナツはベッドに横たわって考える。セトさんは、「あのひと」のことを感じ取っているんだろうか。そういえば、あのひとに助けられたハナシを、唯一話せる相手であるはずの少年に、まだ打ち明けてなかった。あのひとのことをあいつに話すのはタブーのような感じがするのはなぜだろう。アタリマエか。あのひとのオトコと寝てるんだ、あたしは。あたしはあいつに夫の話をしない、あいつはあたしに婚約者の話をしない。それと同じことか。でも、あのひとはどうしてあたしたちの関係を許しているんだろう。そもそも、どうしてあたしはあいつと寝たくてしょうがなくなったんだろう。あたしと寝てくれる男はこの世にあいつだけ、と思ったのは何故だろう。あのひとのことをホントは気にするべきだったのに、あの時も今も、この件に関しては全然後ろめたさを感じてない。なんでかな。あのひと、どうしてるのかな。今日あいつが来たら、ちょっとだけ、あのひとのこと聞いてみようかな。

今何時だろう、と時計を見てコナツは飛び上がる。買い物に行かなきゃ。

それにしても恐山と聞いたとき、あたしはなんでどきっとしたんだろ。恐山のことなどロクに知りもしないのに。どんなところだっけ。イタコ。他には。何も思い浮かばない。ま、いーや。夕飯のおかずはタコにしよう。


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