ジンクフィンガー その4 作:まりえしーる 発表日: 2005/12/02 11:00

「社長、ワタヌキさんをお連れしました」「ご苦労だったな。お前たちは下がっていいぞ」「はっ」

ふたりきりになると社長と呼ばれた男はデスクに腰掛け、おもむろにタバコに火をつけた。「手間をかけさせやがって」

「これ、外してよ」、女は手錠をかけられた手首を見せながら言った。「カホ、お前は自分の立場がまだわかってないのか。やっぱりお前はマトモじゃない」

「ふん。どうしてあたしの居場所がわかったの」「はぁ?まだわからねーのか。お前に持たせてるケータイ、徘徊老人用のヤツだ。居場所を教えてくれる親切なヤツなんだよ。マンロケーション管理用端末ってゆーんだが、メールも打てねえ機械オンチのお前にはわかんねーだろな」「なによ、それ。メールくらい打てるわよ、って、そーじゃなくて、ずっと前からあたしを疑ってたってこと?」「お前に浮気されるのが心配だったんだよ、俺は。こんな場面のために選んだんじゃねーぞ。こんなことで役に立つなんて。くそっ」

社長と呼ばれた男の名はスエヨシ・サトシ、従業員28人の薬品ディーラー「メッド・フェリシダージ」の社長である。左手を負傷しているらしく包帯を巻いている。

女の名はワタヌキ・カホ、メッド・フェリシダージの経理担当、スエヨシ社長の愛人。

10年前、カホはメッド・フェリシダージに高卒新人として入社した。歓迎会の後の二次会でカホは酒を大量に飲み、前後不覚になった演技をしてスエヨシを誘いホテルに連れ込むことにまんまと成功した。その日以来カホはスエヨシの愛人と会社の経理を兼任することになった。

表向きのメッド・フェリシダージの事業は薬品ディーリングだが、その実態は薬品ブローカーに限りなく近い。裏の商売である違法薬物の流通が生む利益は本業のそれを上回る。健全なビジネス・センスを持つスエヨシは二重帳簿を作り、裏稼業の収支を含むすべての金の流れをカホに管理させていた。スエヨシはカホを愛し、全幅の信頼を寄せていたのである。カホも非凡な経理手腕を発揮してスエヨシの期待に応え、徐々に社内での地位を確立させていった。

ところがある時期から、スエヨシは会社の帳簿に疑問を抱いくようになった。プールした資金の総額が自分のイメージと億単位でズレているのだ。なにかおかしいと感じたスエヨシは、子飼いの部下であるヒキタという社員に金の流れを極秘裏に調査させた。社長の愛人だというだけで我が物顔で振舞っていたカホを内心嫌っていたヒキタは、調査に異常な執念を発揮した。そしてついにカホの裏切り行為を暴き出し、社長に報告。その内容にはカホへの反感から生まれた過度に誇張された情報も混ざっていたが。

ヒキタいわく、この会社には裏帳簿のさらに裏の帳簿が存在する。スエヨシの知る裏帳簿は闇の利益の一部がどこかに消えていくことを隠蔽するためのものでしかない、と。

カホは10年に渡って会社の闇の利益を横領していたのだ。ヒキタの試算では、カホがくすねた金は3億に達するという。

ヒキタの報告を受けたスエヨシは、翌日カホを社長室に呼び出し横領の件を問いただした。




カホは呼び出された時点で何か察知していたらしく動揺のそぶりも見せなかい。

「じゃあお前はすべて認めるのか」「ええ」「10年も俺をだましやがって。どうなるのかわかってるのか」「さあね。自分こそ10年もあたしをオモチャにしてきたくせに。あの程度の金、もらって当然でしょ」「なんだと」

スエヨシはカホに迫り右手で胸倉をつかもうとした。だがカホはヒキタの視界から消える。

「いて。いてててててて」

カホは一瞬にしてスエヨシの背後にまわっていた。スエヨシの左手の小指をつかんでねじり上げている。

「やめろ。折れるだろ、やめろ」「自分に都合のいい命令ばっかりだね、あんたは」

カホは自分の腰に手をまわし潜ませていた工具を取り出す。ボルトカッターだ。

「奥さんにアタマが上がらないんだよね、あんたは。奥さんの親って後ろ盾がなけりゃ何もできない男なんだよね」「何しゃべってんだ。早く離せ」「あんたはあたしをクビにできない。あたしとの浮気が奥さんにバレるかもしれないから。だからあんたがやることはひとつだ。あたしを殺すつもりだろう。ウラを知りすぎてるあたしは殺して口封じするしかないって思ってるだろう。でも、そうはいくか」

小指をねじられる痛みで、スエヨシの左手の指は獲物を襲う鷲のツメのカタチで硬直している。カホは、ねじられた小指に引きずられ、ひとり孤独に屹立しているスエヨシの薬指を見る。そしてボルトカッターで。

「ぎゃああああああああああ」

カホは床に落ちた血まみれのものをハンカチにくるんで拾い上げ、それにはめられていた金属の環を抜き取る。

「こいつはもらっていくわ。こっちは返してあげる」。カホは血まみれのものをスエヨシに投げつけ笑った。

「あたしを殺したら、こいつがどっかから出てきて警察はあんたの身元を割り出す。あたしとの関係からなにから全部が奥さんの耳に届くのよ。そしたらあんたはもう終わりよ」

カホは分厚い社長室のドアを開け、オフィスじゅうに響く大声で叫んだ。「社長が!社長がたいへんよ!誰か!」

ざわめきとともに社員たちが集まってくる。「うわ、社長!何があったんですか!」。スエヨシは激痛のためコトバを発することができない。

「救急車!救急車を呼んで!」と叫びながらカホはオフィスを飛び出していった…。



このような経緯で脱走したカホだったが、すべてはその場の思いつきによる行動だった。横領発覚を前日まで予想していなかったカホには何の逃走プランもなかった。おかげで再び社長室でスエヨシと対峙するハメに。前回と違うのはスエヨシの包帯とカーペットに残った血の跡。

「さあ、指輪を返せ」「なにそれ」「てめえ」

スエヨシはバックハンドでカホの頬を張った。

「ふん。あんなもん、あたしが持ち歩いてるわけないでしょ。とっくのムカシに隠しちゃったわよ」

カホの頬を第二弾が襲った。

「殴ればあたしがしゃべるとでも思ってるの、ばーか」「思っちゃいねーよ」

スエヨシは注射器を取り出した。「な、なによそれ」「おめえこそ、ばかか。俺たちのビジネスがなんなのか、10年も勤めてんのに知らねえのか」

スエヨシはカホの下腹部を蹴る。そして床にうずくまったカホの背後にまわって彼女の首に注射器の針を当てた。

「チクっとしますよー」


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