露顕 作:まりえしーる 発表日: 2005/10/05 09:00

「カゲミ、チキンフィレ買ってマンキツ行こーか」「え。ああ、いーな」

カゲミは意外に思った。リーダーのほうから誘ってくるなんて。随分久しぶりだ。もう飽きられたのかと思ってたけど、そーゆーわけでもなさそーだ。でも結局はマンキツ止まりか、とカゲミは少し失望している。それは二人の関係に決定的な進展は訪れないということを意味していた。少なくとも今日のところは。

いつものネットカフェに入ったふたりはパーティションに囲まれたフルフラットシートの上に寝ている。「ホータイ取れてよかったな。なあ、キズ見せてみろよ」「ヤだよ」「なんで」「自分のカラダについたキズ見せたがる女なんていねーよ。それくらい知っとけ」「知ってるよ。でも見せてくれ」「シャンプーできなかったからアタマくさいぞ」「お前はくさくなんかない」

そのコトバを聞いたカゲミは、この男にとってあたしのキズは何か意味のあることなのかも、と思い後頭部の髪を持ち上げ男に背を向けた。

「たいしたキズじゃねーだろ。しばらくはハゲだけど」「かわいそうに」「え」「お前がかわいそうだ。痛かっただろう」「コドモ扱いするなよ」

自分の肩に置かれた手の震えを感じてカゲミは驚く。「リーダー、なに泣いてんだよ」

「俺にはなにもしてやれないからだ。ごめんな。俺はお前になにもできない」

カゲミは男のほうへ向き直り、ふたりは抱き合う。「いいんだ、リーダー。わかってるよ。リーダーはリーダーのルールを守って生きろよ。わかってるから」「すまん」「あやまることはないって。最初からリーダーに婚約者がいることは知ってたんだからさ」

カゲミは男のために笑顔を作る。「けど、キスくらいは、さ、いいだろ?」

男には時間制限があった。わかってるよ、リーダー。時間通りに婚約者に返してあげる。でもそれまでは。それにしてもこんな、人目を忍んで入った狭いハコの中で時間を気にしながら声を殺してまさぐりあうだけの関係。若いってことはなんて惨めなことなんだろう。カゲミはため息をつく。

「じゃな」「ああ」。ふたりは店の外で別れる。なんか湿っぽかったな、今日のリーダー。カゲミはふと思う。もしかして、これで終わりだって意思表示だったんだろうか。これで最後ってつもりで誘ってきたんじゃないだろうか。

カゲミは振り返る。男の後姿が見える。なにか違う。いつもと歩くフォームが違う。リーダーはなにかしようとしている。その時、男の右肩が動くのを見てカゲミは反射的に電柱の影に身を隠す。男が見せた動き、それはひとが振り返る時の動作だったからだ。隠れる必要なんか無かったのに、尾行のときのクセが出ちまった。そうか、リーダーは周囲を警戒しながら歩いているんだ。おかしい。

カゲミは男を尾行してみる気になった。リーダー、ごめん。でも自分が止められないんだ。カゲミは男がターンして一度通り過ぎたビルに入って行くのを見た。

ずいぶん枯れたビルに入ったもんだな。あやしげなクリニックにでも通ってるのか。カゲミはビルの裏手から様子を見ることに決めた。ビルの裏口に面した通りに抜ける細い路地に入っていく。

慎重に路地から顔を出したカゲミの目に入って来た光景は意外なものだった。ついさっきまでカゲミを愛撫していたあの男が、赤い車に乗り込もうとしている。運転しているのは誰だろう。婚約者かな。いや、それなら人目を避ける必要なんかない。ああ、誰だろう、だなんて、あたしはもうわかってるのに。わかってるのに認めたくないんだ。リーダーが卑劣で薄っぺらな裏切り者だってことを。

カゲミはビルの外壁に貼り付き、前を赤いクルマが通過するのを見る。運転席の女の笑顔を見る。そうだ。柔道部のコーチ。あたしにはわかっていた。

でもさ、どうしてあいつなんだよ、リーダー。

リーダー、あんたは最低に汚い。さっきまでのやさしさはなんだったんだ。いつも口にする婚約者への忠誠はなんだったんだ。全部ウソか。婚約者だけじゃなくてあたしまで裏切った。なんであたしまで、なんだ。なんであたしと、じゃないんだ。汚い。汚すぎる。

それにしても、あの堅いリーダーが、なぜ。確かにあの女がガッコに現れてからリーダーの様子が変わった。あの日、あたしが急用で帰った後に、あのふたりの間になにかあったんだ。ガッコでリーダーとあの女がばったり会った時はまだ、ふたりにはなにも無さそうだった。それがなぜこんな短時間で。それはあの女が只者じゃないからか。なんて女なんだろう。あの女は強い。しかも魔性を秘めている。あのリーダーをあっさり手なずけるんだからジンジョーじゃない。そうだよ、リーダーも被害者なんだ。悪いのはあの女だ。

あの女に初めて会ったときからなにか予感がしてた。やっぱりこうなる運命だったのか。あたしはあの女と戦わなくちゃいけないんだ。あたしはそれを感じていたのか。

あたしはあの女を倒せるだろうか。そして、あたしがあの女を処理できたとして、リーダーはあたしをどう思うだろう。カゲミの脳裏に事務所の壁に貼ってあったオーデンの詩が浮かぶ。

見るのもよろしい、でもあなたは跳ばなくてはなりません
安全無事を祈願する私たちの夢は失せなくてはなりません

いいだろう。決着をつけてやる。あの女に思い知らせてやろう、あたしが触らぬ神だってことを。


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