「ねえヒカワくん、クリスマスはなにすんの」「え。別に。フツー」「フツーって?」「メシ食ってフロ入って宿題やって寝る」
一人暮らしを始めてから最初のクリスマスが近づいてるんだ。俺にはクリスマスなんて関係無い。関係無い、と言いながら意識せざるを得ない奇妙な日がやって来る。
「あたしは毎年家族で食事してケーキ食べるんだ。コーコーセーにもなって、って思うんだけど、パパとママがそうやって過ごすもんだってつもりでいるから、なんかさ、友だちとパーティーに行くから、とか言い出せなくって。中学の頃からまわりはみーんなウチの外で遊んでるのになあ」
まりえは親思いなムスメらしい。
「ね、ヒカワくん、あのさ、なんてゆーか、あたしんちに来ていっしょに食事する気でも起きたら、まあ、そんなクリスマスも、よろしいんではないかい」「おめー、なんかヘン」「あーもー、気を使ってるのわかれよ。言えないじゃん、クリスマスの夜ヒマでひとりぼっちで寂しくて泣いてるんだろーからウチに来たまえ、なんて。あたしだって知ってるんだよ、クリスマス問題ってのはデリケートだってことは。クリスマスに何も予定が無いってことを隠したがるひとがたくさんいるってことは」
その通り、クリスマス問題は微妙だ。普段からひとづきあいを軽んじてる俺だ。クリスマスなんかなおさらのことカンケーねーよ、と言いたい。でもカンケーねーよ、と言ってる時点でもう相当気にしてるってことだ。ひとが街がテレビがかもし出す、この特異なムードが、その夜をハッピーに過ごせ過ごせ過ごせなきゃお前の負けだお前は敗北者だ、と語りかけてくる。勝ち組と負け組という誰の目にも鮮明にわかる線引きがなされる夜。
「クリスチャンでもないくせに」という時々耳にする正論は、クリスマスに狂騒する連中の耳には負け犬の遠吠えにしか聞こえない。それが現実だ。その正論に共感するやつは負け組と見なされるだけってのが現実だ。
そーいや昼休みにもオーヌキくんとそんな会話をしたっけ。「ヒカワ、クリスマスに麻雀やろっか」「悪かねーけど、メンツ集まるかな」「あー確かにな。3人だけ、とか」「ふたりだけ、とか。それはそれでいーんだけど」「なんかな」「ちょっと、な」「じゃやめとくか」
お母さんが夜仕事だから、オーヌキくんも夜はひとりだ。俺は別にいっしょに遊んだっていい。でも殊更にクリスマスの夜に遊ぶってのが、なんか悔しいじゃん、クリスマスの寂しさをまぎらわしてるってことが。クリスマスを意識してるってことが。
だいいち、そんなオーヌキくんだって、もしかしたら今夜にでも恋人ができる可能性だってある。「え?クリスマスの麻雀?いやー、わりーな、ごめんごめん」、なんてね。ま、そんなときも恨んだりしない、そしてキズを舐めあったりしない、それが男の友情ってもんだ。
「ヒカワくんの住所教えてよ、年賀状出すから」「はぁ?ネンガジョー?」「へっへー。あたしから貰えるなんてそーそーないよ」「いらね」「ほらほらこれに書いて書いて」
俺はなんとなく住所をまりえのシステム手帳に書く。まりえのイメージからは程遠い地味な手帖だった。「おめープリクラとか貼らねーんだな」「あたし、友だちいないんだよ」。意外なことを聞いた。
「カレシできたらプリクラもいっかなー。そーだ、レンシューしなきゃ。ヒカワくんも必要でしょ、レンシュー」
俺はマリエにひっぱられてゲーセンに入った。「あたしとヒカワくん、来年はきっと同じクラスになれるよ。だから、ま、お近づきのシルシってことで」「なんだそりゃ」
一人暮らしだと年末にあれこれ雑事があるもんだ。俺はけっこう忙しく日々を過ごし、なんとなくクリスマスを迎えた。昨日や明日と同じようにフツーに過ごした。そうだよ、今日は特別な日なんかじゃないんだ。フツーに過ぎていけばいいだけのことさ。
ところがいざ夜になると俺は怖いことを思いついてしまった。もし今夜、前の住人が現れなかったらどーしよう。一度だけ、前の住人が来なかった夜、俺は眠れなかった。なんということだ。俺は今やユーレイ女に依存して生きているのか。情けない。俺の強気はユーレイ女の存在に支えられてる砂の城か。アタマの中でジミヘンのギターが叫ぶ。ぎゅあーん。もし来てくれなかったら、ホント、どーしよ。やっぱり、ひとりでいるのは、つらい。
その時肩に腕を乗せられた感触がした。横を見ると、いつの間にか前の住人が隣に座っていた。なんと彼女はアタマに赤いリボンを巻いている。なにかんがえているんだ、このひと。俺は笑いをこらえる。前の住人はいつもの通り、何の会話も無しに俺を押し倒した。
長いキスの後で、ユーレイ女は俺を見つめ、そして言った。
「メリークリスマス」