家族 作:まりえしーる 発表日: 2005/09/26 16:30

「昨日夜中に地震があってびっくりしたー。目が覚めちゃった。ニホンって地震が多いじゃない。なのにソロバンが普及したってすごいよね」「はぁ?」

俺は今まりえと並んで歩いている。下校のとき偶然出くわしたんだ。ハラが減ってるときに会話する相手としては不適当だと言わざるを得ない。

「だってケーサンの最中に地震起きたらソロバンの玉ジャラジャラだよ。ごはさーんだよ。全部パー。きっとさ、ソロバンの歴史って地震との闘いの歴史だよね。ロマンだよね」「いや、たとえ電卓使ってても地震が来たら計算中断するだろフツー」「ムカシの蘭学者とかは揺れるソロバン押さえて必死に円周率のケーサンしたりしてたんだよ。うん、きっとそーだ。歯を食いしばってさ。すげー。これって映画にならないかな?」

「お前さ、ふだん何考えて生きてるの」「え。芸術とか人生とか」「あっそ」「ヒカワくんて、いつもあたしにキョーミしんしんだねー。まいったなあ。本も好きだよ。こないだの謝礼の残りで、まるごし刑事全巻買っちゃった。えへへー。読む?」

遅まきながら俺は、まりえと会話するコツがわかり始めてきた。聞き流しとけばいいんだ。

「保健のトーコ先生が休んでるんだよ、ここんとこ。どーしたのかな」。これはからんでもよさそうな話題だ。「でもよ、あのセンセってふらっと旅行とか行っちまいそーなタイプじゃねえか」「黙って行くことないじゃん」「え。お前に断ってから行かなきゃヘン、とか言いたいのか」「そーそー」「なんだそりゃ。仲いいのか」「うん。あたししょっちゅう保健室行ってるからさ」「意外と病弱なのか、お前。あ。そっか」「なにひとりで納得してんの」「別に」

まりえのヒザにはバンソーコーが絶えない。

「トーコちゃんはね、ちょっとアサハカでかわいいんだよ。センセって気がしない」

確かに先生ってカンジじゃないよな。俺が思い出すのは先生のベージュのパンツだ。高校生のパンツってのは、なんつーか、制服の一部だ。常日頃そこにあるってだけのモノ。でもオトナの女性のパンツはやっぱ下着なんだよな。タドコロ先生はヤラシー感じでよかった。しかし、まりえごときにアサハカと評価されてしまう程度の教師であることも間違いない。

「スローフードってさあ、早食いしたら怒られちゃうのかな。スローフード早食い大会とかやったらヒンシュクかな。地球にやさしいひとたちって、なんかココロが狭そうでこわいよね」

その時大音量でスクービードゥの「GET UP!」が鳴り出した。まりえのケータイか。「ラクをすーるー、すぴいどーがあ。あ、ママからメールだ。げ、買い物頼まれちった。ヒカワくん、ごめんね。名残惜しいだろうけどサラバじゃ」

まりえはスーパーの方へ走り去った。バンソーコー追加に500ユーロ。さて俺はどっかで晩メシを食って、前の住人を迎撃する体力をつけなくてはならない。

前の住人の背中のラインを思い出しながら、俺は街の喧騒の中を歩く。八百屋の前に来たとき、買い物中の女性がサイフから大量の小銭を地面にこぼしてしまう場面に遭遇する。通行人たちがいっせいにしゃがみこんでコインを拾い始める。俺も足元に転がってきた何枚かを拾う。笑顔でコインを届けに来る通行人たちひとりひとりに「すいませーん。ありがとうございます」と頭を下げている女性に近づく。女性は俺の制服を見て「あら?」という顔をする。

「かーさん、なにやってんだよ」。その時俺と同じ制服の男子が横から現れた。クラスのオーヌキくんだった。「あれ、ヒカワくん」「あ。うす」「あ、やっぱり。ガッコの友だちね?」「うん。同じクラスのヒカワくん」「どーも」「そう。ヒカワくん、ありがとう。恥ずかしいとこ見られちゃった」「いや、俺もしょっちゅうやってます」

オーヌキくんのお母さんは少しの間俺を眺め、首をかしげた。「ヒカワくん、よかったらウチで夕飯を食べてってくれない?」「え」「用事がある?」「あー、別に」「だったらいいでしょ。あたしは肉屋に寄って行くからウチの子と先に行っててね。キミの分も買うから逃げちゃダメよ。食材ムダにさせないでね」

俺とオーヌキくんは去っていくお母さんを見送る。「オーヌキくん、いーのかな」「もちろんいいさ」「でも。なんかわりーよ」「遠慮するこたねーよ。かーさんが強引に招待してんだから」

俺はオーヌキくんの誘導で歩き出す。俺は人付き合いに懲りてるところがあって、ガッコではクラスの連中ともほとんど口を聞かないんだ。俺にとっての一番のクラスメートってのは、俺をほっといてくれるやつだ。好意も敵意も欲しくない。オーヌキくんとも必要最小限のコトバしか交わしたことがないが、今までは一番のクラスメートのひとりだった。つまり俺をほっといてくれた。だけどなんだか妙なことになっちまったな。

「ヒカワくん、こっちこそわりーな。俺のかーさん、勝手でさ」「そんなことはねーけど」「あんまさ、重く取るなよ。ホントは苦手だろ?ガッコのつきあいって」「え。わかるのかな」「わかるって。俺も苦手だから」「そっか。でも特別無理してるわけじゃねーんだ。実はすげーハラ減ってるし」「あはは、マジ?そりゃよかった。ムスコが言うのもヘンだけど、かーさんは料理うまいぜ」

「オーヌキくんはお母さんと仲いいんだな」「ああ。家族、ふたりだけだから。うまくやっていきてーんだ」「そっか。チームメートだな」「いいね、それ」

オーヌキくんの家は住宅街にある一戸建てだった。まわりの家が玄関まわりを花だらけにしてる中、装飾がまるでない家だった。「入ってよ」「お邪魔します」

「ヒカワくんってなんか趣味あるの」「趣味。なんだろ。麻雀、とか」「ホントかよ。俺もチューボーの頃はまってた。ウチ、パイあるぜ」「へー。なんかやりてー気がしてきた」「今度メンツ探してみっか」「そーだな」「ところでタドコロ先生ってエロくねえ?」

そこにオーヌキくんのお母さんが帰ってた。「よしっ、手早くやるぞ。もう少し待っててね」「俺、なんか手伝いましょうか」「うーむ。その意気だけは買おう。しかし残念ながらキミは戦力外だ。待機を命ずる。なんか飲む?」

あっと言う間に食卓には様々な料理が並んだ。たぶん栄養バランスとか配慮された献立にちがいない。俺が一人暮らしでロクなもの食ってないことが見抜かれてることは間違いない。オトナの女性って凄いな。

俺たちは他愛もないことを話しながら食事をした。料理はホントにうまかった。こんなちゃんとした食事を最後にしたのはいつのことだったろう、なんてことを考えてしまう。なんだか自分が惨めな境遇にいるような気がしてくる。

「さて、あたしは仕事に行く仕度をしなきゃ。ヒカワくん、今日は付き合ってくれてありがとね。気が向いたらまた食べに来てよ」「ごちそうさまでした。すっげーおいしかったです。俺、片付けます」「それはウチの子の仕事。でしょ?」「おう」

仲のいい親子に見送られて俺はオーヌキ家を後にした。どこかの庭先からスズムシの声が聞こえてくる。死んだ母親のことを思い出そうとするが、うまくいかない。俺の記憶には、やわらかくてあたたかい感触があるだけだ。それだけだ。でもその感触の記憶も、今では前の住人のそれに取って代わられてるよーな気がする。何故なら感触を思い出したとたんに、俺はなんだか歩きにくい状態になってしまったからだ。


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