花の名前 作:まりえしーる 発表日: 2005/09/22 10:00

エリカ Erica の花です 「あの花、あっちこっちに咲いてるね」「フヨウですね」「ティッシュで作った花みたい」「あーそーかも」「ヒカワくんは何の花が好き?」「エリカさん」「あはは」

ツツジ科の常緑低木エリカと同じ名前を持つ女性、そう俺の最愛のひと、婚約者であるエリカさんと俺は今並んで歩いている。これからドレッドのひと&エメさんコンビと食事をする予定なんだ。

「植物のほうのエリカさんは英語ではヒースっていうんだ。Heath。ドイツ語の荒野が語源みたい」「ふーん。それで花言葉が孤独、なのかな」「夏のスコットランドじゃ2万ヘクタールの荒野がエリカさんでいっぱいになるんだって」「さん、つけないで言えないのかな」「言えない。言えないって」

パキスタン料理の店に着き、俺たちは遅めの夕食にとりかかった。

「エリカっていえばエリカ・カップだな」とドレッドのひとが言い出し、俺はEとかFとかがアタマに浮かんでヤマシイ気持ちになる。「少年、エリカの胸見てんじゃねーよ」。わーん。「よしよし」とエリカさんが俺のアタマを撫ぜながら胸を押し付けてくれる。エリカさんはかなり酔ってる。

「むかーし長江さんてひとが44フィートのヨット自作して、そいつで世界一周したんだ。そのヨットの名前がエリカ号。その偉業を記念してエリカ号が帰ってきた蒲郡港でヨットレースをやるようになった、と。その大会がエリカ・カップだ。俺は去年見に行ったぞ。すごいだろ」

「すごいっていえばエメだよね」。酔っぱらいたちはドレッドのひとのハナシを聞いちゃいない。「うん。父親からお前の名前はジャック・ラカンって精神科医の患者の名前から取ったって聞かされたときは、あたし引いたよ」「患者」。人生いろいろだな。

「野生の狼の群れと暮らしてる動物学者がいるんだ」「あ、聞いたことある」「ヴェルナー・フロイントってドイツのひとなんだけど、そのひとの奥さんの名前がエリカさん」「ふーん。ヒカワくん狼好きだもんね。荒野のオオカミ、とか。なんかシンボリックな名前なのかなエリカって」「俺にとってはすっげーシンボリック」「そーなの」「うん」

エメさんが俄然乗ってくる。「ねえねえヒカワくんはさあ、エリカに一目惚れだったの?」「え。あー」「言え。今さら隠すな」「は、はい。そうです」「どこに?まさか名前で?」「それも、あっかな。少しは」「あるんだ。名前って凄いね。じゃあメインのパーツはどこでしょう?」「そ、そんな具体的な」「言ってみ」「あー。じゃあ。前髪、とか」

「ぶわはははははははははは。思い出した。そーだったな。あーなんか前髪にこだわってたな。そーか。そーだったのか。エリカ、お前知ってたか」「そ、それだけじゃないって。それだけじゃないですからね」「それでずーっと短くしてるんだ。この少年のために。あん時は失敗したって嘆いてたくせに」

自分の恋愛バナシにからっきしダメなエリカさんはすでに石化している。

「こら、エリカ。現世に帰って来い。そんでえ、お前は少年のどこに」「まあまあ」「ひっこめ小僧。ほら言ってみ」「しっ、下着売り場でえ」「はいぃ?」。なにを言い出すんだ、このひとは。

「どっかの女のひととブラ買ってるのを見てえ、他のひとに取られたらやだな、って」「げ」「なにそれ」「誰だよ誰にブラ買ってやったんだよ少年」「買ってないって」「あーこんなハナシやめよーよ。あたしもーダメだー。飲も飲も」

「若きフローラルの香り、だっけ。ゲーテの」「若きウェルテルの悩み」「そーそれだ。主人公はこれから会う女の名前を教えられた瞬間に、まだ会ったことの無いその女に恋しちゃうんだよな」「名前惚れなんだ」「そーそー」「名前と前髪には魔力があるんだね」「前髪は、あーもーやめて」

「ではお聞きしますが、アキヒロさん」「あれ、少年。いつの間にビールを」「アキヒロさんはなんでエメさんと」「おー。夢枕にエメが立って、あたしを助けてって」「はぁ?」「あたしそのハナシ2千回聞かされた」「夢のお告げですかあ」「何から助けるんだろ」「〆切じゃない?」「アシか。アシが欲しかったんだ」「違うだろ」

「じゃあエメは。エメは、なんでペンネームがキャロットみきになったの」「はいぃ?俺とのこと聞くんじゃねーのかフツー。流れ考えて話せよ」「他に誰も使ってない名前ならなんでもよかったんだよー。その場限りってカンジで。まさかその後何年も使うハメになろうとは」「ネットのハンドルネームでもありがちな悲劇だね」「そう。まさにそれ」

「アキヒロさん、エメさん、実はですね」「少年、酔ってるな。マズイな」「実は俺たち、結婚するんですよ。愛し合ってるんです、俺たち」「なにを今さら。エリカ、こいつ大丈夫か」「あはははははは」「なんだよ結局シラフは俺だけかよ。裏切り者め。くそっ。もう今夜はシメるぞ」

俺とエリカさんはもつれながら家路に着く。「ヒーカワくん、サルスベリってホントに猿が滑って登れないのかな」「じゃあ俺がサルになって実験してみましょう」

翌朝起きたとき、俺の両腕は傷だらけになってたんでびっくりした。


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