ザ・ウェイト 作:まりえしーる 発表日: 2005/09/15 13:00

「なあカゲミ、宝くじで1億当たったらどーする」「え」「どーする」「ありえねーハナシすんなよ」「たとえばだって」「ああ。んーそーだな」「おめーさあ、チキンフィレ何個買えるかなんて考えてんじゃねーよ」「か、考えてねーよ」「じゃあ何考えてたんだよ」「そ、そりゃあもっと長期的な展望ってゆーか」「どんな」「チキンフィレ何年間買い続けられるか、とか」「ばか」「なんだと」「おめーに聞いたのがマチガイだった」「勝手な質問しといてそんな言い方ねーだろ」

俺はふれくされたカゲミを抱きしめて機嫌をとってやる。カゲミのほっぺたはやわらかい。あービンボーは気楽でいーな。失くすものが無い生活ってのは不安が無くていーや。

エリカさんからもらった宝くじの賞金は今、俺名義の銀行口座に収まっている。1千万円。これはエリカさんが俺に課した試練だ。大金と付き合っていく方法を学ぶためのトレーニング、初級講座。はあ。

実際に体験してみると、確かにこれはハートを鍛える訓練だとわかる。確かに金はひとを変えてしまう。俺は基本的には同じ人間だ、今のところは。だけど俺の心には波風が立ちっぱなしだ。

俺にはまず保守性が芽生えた。財産を守ろうという意識が生まれたんだ。小さい。俺は器が小さい。オー・ヒカワ、ユー・アー・ソー・スモール。やめろよキャサリン、そんなこと言うなよ。キャサリンって誰。

いつでも出し入れできるようにってんでエリカさんは普通口座に預けることを俺に指示した。ただ金を普通口座に入れる、それだけのことなのに、スケールがでかくなるとこんなことも問題になる。まず、あぶない銀行ってのを避けなきゃという気持ちになる。次に普通口座ってやつもクセものだ。今はどこの銀行でもフツーの普通口座とフツーじゃない普通口座があるんだ。フツーじゃない普通口座は、最低残高というシバリがあるが金利や手数料がお得、ってヤツ。すると今度は暗証番号ですよ。推理しにくく覚えやすいという二律背反、そんな4ケタの魔法の数字をひねり出さなくてはなりません。べっつに誕生日でいーじゃん、たいした額じゃないんだからさ、なんてことは言えない額なんです。すると次はカードと通帳の保管場所モンダイですよ。ああ、なんということでしょう。俺はベンキョーしましたよ。ついこないだまでは、んなのどーでもいーよめんどくせーって片付けてたことが、金額がでかくなっただけで重大な関心事にハヤガワリですよ。びっくりだ。

さて無事に銀行に預金できた。すると今度はこの預金をそのままキープしたいという気持ち、できればもっと増やしたい気持ち、そして、使いたい気持ち、これらのせめぎあいだ。大金に慣れるためには使わなきゃってゆーか、欲しいものは俺にだっていろいろある。でもね、一度金をおろしてしまったら、そこはだらしのない俺のこと、タガがはずれたように金を使い続け、ガッコには行かず、遊びほーけ、エリカさんからもらった金なのにあろうことかカゲミと豪華ホテルでセックスしまくりカゲミが妊娠、あークズだクズだクズだクズだ。てなカンジで堕落へのハイウェイをブレーキの無いクルマで疾走する自分が見える気がして怖いんだ。

俺のだらしなさは自分でよくわかってる。エリカさんに悪いと思いつつカゲミとだらだらした関係にはまり続けてるんだからさ。

俺はそもそも金にたいしてケッペキな性分である。金にはケガレを感じるし、特に汚れた手段で得た金には嫌悪感を覚える。そんな俺にとって、今一番心を安らかにさせてくれるのは、あの金を全部エリカさんに返す、ってことだ。返すことを考えるとほっとする。でもそれじゃトレーニングにならないんだよな。あーでも逃げたい。

金にケッペキってのは美徳に見えるかもしれない。でも俺の場合は、単に金の魔性の力を必要以上に恐怖しているだけだ、ってことが今回はっきり見えてしまった。なんで必要以上かって言うと、俺は金の魔力を現実に目の当たりにした経験なんてないんだ。なのに怖がってる。いっぽう金にルーズなヤツってのも世の中にはいる。そいつらは金の魔力を過小評価してるってだけで、ま、俺と同じレベルの小物だ。

そんなこと、どーでもいーじゃん、あれば使ってなければガマンするだけさ、という流れの中に住む魚のような心境には、俺はとてもなれそうもない。10万円以下だったらなれるかもしれない。要は俺のスケール上限はそのくらいってこった。ちいせえなあ。

俺はカゲミと指をからめながら聞いてみる。「大金、っていくらくらいから大金だと思う」「今日は金のハナシが続くな。困ってんの」「そーじゃねーけど」「大金、か。50万はそーとー大金だな」「お前、俺よりウツワがでかいな」「リーダーは」「10万は大金だよ。あー5万もでかいな」「5万は大金だわ」「そっか。そーだよな」「3万でもすごいよ」「目減りしてきたな」「うん。50万は天文学的な数字ってことで、とりあえず言ってみた」「すげー共感できる」「あたしらビンボーな群れだからな」「ビンボーだよなあ。ビンボーってラクでいーよな」「そーかあ?」

カゲミとキスしていると、ホントにビンボーのよさを実感する。億を超える預金を持ちながら、リラックスしていられる神経、そんなものを体得できる日が来る気がまったくしない。

ふと、何もかも捨ててカゲミとどっかに逃げようかな、なんてことを夢想している自分に気付き慄然とする。金は重荷なんだ。俺には財産は重荷なんだ。そして、この重荷をかついでいける強さを得ることが、このトレーニングの目的なんだ。

エリカさん、ありがとう。こんな贅沢な試練、望んでも体験できるもんじゃないよ。俺は頑張って、乗り越えて、オトナになってみせる。早くオトナになりたいって、俺はずっと思ってたはずだ。こんな初級講座で逃げたら、俺は一生青臭いガキのままだ。

よし、なんとかなりそうだ。絶対に慣れることができるはずだ。うまく付き合っていこう、と俺はカゲミの胸を触りながら決意した。カゲミが声を出しそうなのでキスで阻止する。俺はがんばるぞ、この小さなやわらかい胸と、このかわいい唇に誓って。ってなんか全然ダメなよーな気がするな。


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