シンクロニシティ 作:まりえしーる 発表日: 2005/09/12 13:00

昨夜はなぜか前の住人が現れなかった。このアパートに越してきてから初めてのことだ。慢性的に不足している睡眠を取り戻すチャンスのはずなのに、どうしたことか俺は目が冴えてしまって眠れなかった。夜明けが近づくと心配になってきてますます眠れない。外が明るくなり始めたころ、あきらめの境地になってから俺はやっと眠った。実は俺はショックを受けている。俺は前の住人を待っているんだって事実に。前の住人がもう部屋に来ないんじゃないかってことを心配している自分に。引越してからずいぶんたつのに、今頃になって初めて一人暮らしの寂しさを知った。どうしたんだろう。成仏しちゃったのかな。冷てーよな。ユーレイが冷たいってのは当たり前かな。でもさ、書置きくらいするだろフツー、などとフツーじゃないことをぐるぐる考えている俺って、もしかしておかしいのかな。

なんだか、むなしい。一応いつもどおりの時刻に起きガッコに行ったが、俺は普段以上に抜け殻だ。

授業を受けることが耐えられないくらいの徒労感を覚え、俺は教師に「気分が悪い」と訴え保健室で寝ることにした。

「あら、いらっしゃい」と、保健室に入った俺に保健のタドコロ先生が声をかけてきた。この先生と話をするのは初めてだ。「どうしたの」「頭痛と悪寒がするんです」「そ。寝れば直るよ。どぞ」とタドコロ先生はアゴでベッドを示した。じゃあ遠慮なく、と俺はベッドに入った。

「えーと、キミは一年の」「ヒカワです」「ヒカワくんね。ヒッキー?ワカヒー?ヒカワぶー?」「はぁ?」「ん。なんて呼ばれてるのかなあって」「フツーに呼ばれてますが」「つまんない男子だね」「面白くありたい、なんて気はねーけど」「ねえ、Wのマークのハンバーガー屋、オープンしたじゃない、こないだ。なんつったっけ」「え。ああ、ワッキーダーナルのことですか」「そーそーワック。あそこおいしい?」「入ったことないけど。チキンフィレがメチャクチャ辛いってウワサは聞いた」「辛いのかあ。いいね。辛いもの好き?」「はあ、そこそこ」「でも痔に響くんだよなあ、辛いのは」「え。あ。はあ」

大学出たてってカンジの女教師からコーモンの病気持ちだとカミングアウトされるのも貴重な体験かも。へー、このひと痔なんだ。それにしても、このいい加減さはなんなんだろう。タドコロ先生はいつでも、授業中でも、ホントの関心事は他にあるぞってゆーウワノソラテイストが色濃く出ている。

「いーなあ学生は。ふらふらしてられて」「センセ、俺寝るために来てるんだけど」「眠くなったら寝ればいーよ。それまでテキトーにハナシしよ」「はあ」「ヒカワくんは夜遊び派?モーベン派?ここにサボりに来るってことは」「体調不良派」「夜遊びかあ。教師になっちゃうとクラブとか遠のいちゃったなあ」「センセは夜遊び派だったんだ。ちなみにモーベンってなに」「ね、ナマアシとストッキング、どっちが好き?」「はぁ?」

タドコロ先生は俺の目の前で大きく足を組み替えた。「今がナマアシ。よーく見ておいて」「はあ」「どう?」「きれいですね」「言うねえ。ノリいいじゃない」

タドコロ先生はハンドバッグからビニールの包みを取り出す。「で今から履くのがストッキング」。先生は包みを破って取り出したナイロンの物体を、右足のつま先に装着してから、一気にヒザまで引き上げた。「どーよ」

「はあ」「良くない、か」「ヒザまでって、なんか、買い物オバサンってカンジ」「しまった。よし、ちゃんと履く」

先生は左足もストッキングに突っ込んでから立ち上がり、スカートを持ち上げた。

「はいぃ?」、そんな、いきなり女教師のベージュのパンツを公開されましても。

先生は大真面目な顔でパンストを腰まで引っ張り上げ、ヒザを何度か開いたり閉じたりし、ようやくスカートを下ろした。「これがストッキング。さあ、どうだ」

「どーだって言われても」「ナマのが好き?」「ストッキングもいいんじゃないでしょうか」「物足りないなあ。やる気ってものが感じられないね。先生はがっかりだよ」「いや、なんかベージュのインパクトが強くて」「あー。高校男子はまだまだパンツのほうが気になるのか」

そこの貧血で倒れた女子が運ばれて来て、俺はようやく解放された。女ってめんどくさい。

俺は2時間ほど眠って、もう眠りたいときには保健室にだけは行っちゃダメだ、二度と行かないぞと心に誓いながら教室に戻った。

ガッコが終わってコンビニで晩飯を買って帰ろうと歩いていたら、警官二人組みがチャリに乗った男を呼び止めているのを見かけた。盗難自転車チェックか。ワキを通り抜けようとしたとき、警官のひとりと目が合った。まりえがサイフを届けたときのひとだ。警官も俺を思い出したことが目の色でわかる。

「こんにちはー。こないだはありがとね。ガッコの帰り?おつかれ」。相変わらずフレンドリーなひとだ。でも、俺はこのひとに言っておいたほうがいいかな、と思ってたハナシがあったんだ。あのカミヤって野郎が、まりえを逆恨みするかもって懸念なんだけど。

「こないだのサイフ、あれの落とし主のことなんですけど」「あー、驚いたよねー。ニュースかなんかで見たの?」「はぁ?」

警官が言うには、あのカミヤって男は昨日の深夜、友人である喫茶店勤務の男とクルマに乗ってて事故を起こし、ふたりとも即死したという。猛スピードで交差点に突入、曲がりきれずに電柱に激突、大破、炎上、だって。

「酒気帯び運転なんだよ。道交法はひとを裁くことよりも、ひとの命を守ることが主眼なのになあ。キミたちもクルマには充分気をつけて歩いてね。キミらがルール守ってても、とんでもないドライバーってのがいるから。じゃね」

俺たちは敬礼して別れた。奇遇、ってやつか。意味があるように見える偶然ってあるもんなんだな。でもこれで後くされが無くなった。妙な気分だ。

俺は道行く女性たちの脚をぼんやり眺めながら帰った。ナマアシかストッキングか問題に関する俺の回答は、美脚であればどっちでもキレイだ、ということに落ち着いた。

その夜、前の住人は何も無かったかのように現れてくれた。俺は再会を大喜びしていることを顔に出さないように気を使ってたんだけど、俺の肉体はうれしさを如実に表現しちまってて困った。


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