放課後のゲタバコで、しゃがみこんでるカゲミを見た。なんとゲタバコから溢れ出したラブレターを拾っている。こいつはいつの間にこんなモテモテになりやがったんだろう。まるでマンガだ。マンガと違うところは、カゲミが落ちた手紙を一通一通ホコリを払いながら拾い集めていることだ。その仕草に普段のカゲミの生活態度からは想像できない女性らしさを感じて俺は驚く。ラブレターを書いた男がもしこの姿を見たら惚れ直しちゃうかも。
「学園のアイドルはキチョーメンなんだな」「あ、リーダー。手伝いたいのか」「遠慮しとく。大事な手紙みたいだから俺の指紋はつけらんねーよ」「汚れたモン、バッグに入れたくないだろ」「ちゃんと持ち帰るのか。やさしいとこあんだな。見直した」「持ち帰るだけで人格が再評価されるのか。世間てのはケッコー甘いもんだ」「照れてんのか」「邪悪な目的で持ち帰るってことは秘密にしといたほうがよさそうだって考えてるだけだ」「なんだそりゃ」
「リーダー、あのさ」「なに」「今から、と、図書館でベンキョーしないか」「はぁ?」
カゲミは今秋に危険物取扱者乙種4類の資格を取得したいんだそうだ。カミカミになってるのは、図書館でふたりで勉強って絵が、まるでムカシの高校生の純愛みたいで恥ずかしいからなんだろう。俺の周囲にいる連中は妙な場面で照れるやつばっかりだ。俺も含めて。
「コーコーセーでもそんな資格取れるんだ」「乙種は誰でも受験できる」「4類って、なに」「ガソリン扱う資格。それ取ったら次に1類と5類も欲しい」「まとめて取れないんだ」「なんでもアリの甲種はコーコーセーは受けられない」「ふーん。青酸カリは何類?」「はあー。危険物ってのは消防法の枠組みでの危険物ってことだよ。やばいくらいによく燃焼するものって意味。リーダーが考えてるあぶねー薬物は、毒物劇物取扱責任者って資格が該当する」「博識なんだな。意外だ」「リーダーはあたしのこと何も知っちゃいないよ」
こいつもいろいろ考えて生きてるんだな。こんなかわいい顔して、ぐしゃぐしゃのアタマで、将来のテンボーとか持ってるんだろうか。
「俺も普通免許は取らなきゃいけねーんだ」「18になんなきゃな。自動車ガッコは誕生日の1ヶ月前から入れるけど」「よく知ってんな」「あたしは、さ、あんま頼れるものが無いから。バックボーンが無い人間だから資格には興味があるんだ」
こいつはシビアに生きてるよな。俺ってホント甘ちゃんだな。俺だってウシロダテなんて無い人間なのに。そう考えるいっぽう、カゲミがこんなふうにシビアにならざるを得ない環境で育ってきたのかと思うと、ちょっと複雑な気分になる。俺はカゲミの不幸のニオイが、いつも気になる。もっともカゲミからすれば、この程度のことをシビアと感じる俺のヌルさにはびっくりってとこなんだろーが。
「でもなんで俺を誘うんだ、図書館に」「そんなきちんとした場所にあたしがひとりで入れるわけないだろ。ひとりだったら本屋で立ち読みで済ます」「長時間の立ち読みは他のお客様へのご迷惑となります」「それを迷惑ってゆーんならシートン立ち読みして泣くなんてのは凶悪犯罪だな」「な、なんだと。おめー何見てたんだよ」「誰にも言わないどいてやるから、つきあっとけって」
図書館はきちんとした場所ってセンスが、なんつーか、カゲミだよなあ。はあ。
街の図書館は平日は夜8時まで開館している。夕方の混み具合はそこそこで、俺たちは並んで席を確保できた。資格コーナーから危険物取扱者受験参考書を全部持ってきてふたりで眺め始める。法令はもちろんのこと、化学や物理の基礎的な知識も要求されるってことを初めて知った。俺も興味が湧いてきた。
「この資格、ノジマ先生は絶対持ってそうだ」「あ、そっか。センセなら甲種もありうる。センセの活用法を初めて知った。参考書とかもらえるかも」「それが活用法か」「ベンキョー見てもらえる、って言えばマイルドになるかな」
俺はノジマ先生にメールを打ってみた。教師とメル友ってのもヘンなハナシだが、ま、俺とセンセはつきあいが長い。
カゲミは右手でノートにあれこれメモをとりながら、左手で俺の右手を弄んでいる。「なにやってんの」「ん。なんか落ち着くんだ。貸しといてよ」「そんなもんか」
ポケットの中のケータイが震える。「センセからだ。受験日いつだか教えろ、絶対合格するカリキュラムを組んでやるから、だってよ」「ちょっと引いちゃうくらい食いつきがいいな。そこまでする必要あんのかな」「アツイとこがあるからなー、あのひと」
俺たちはすぐ飽きるというダメ学生の資質を発揮しつつある。まわりのひとたちが帰り始め、そばに誰もいなくなったので俺たちは気兼ねなくムダ話を始めてしまう。無論小声でだが。
「てなわけでなんかノジマ先生の奥さんに気に入られたみたいだ」「リーダーってモテモテくんだな。相手の年齢を問わず。やらしーよな」「そーゆーのじゃねーって。そもそもモテてないし。俺のゲタバコにはラブレターなんて入ってることねーぞ。おめーこそ一生オトコに不自由しなさそーだな」「なにが言いたいんだ。あたしは遊んで無いもん。リーダーと違ってさ」「どーだか」「キスだってこないだまでしたことなかったし」「え。こないだって、あの寝室の」「初めてで悪かったな。あ、いててててて」「どーした」「目になんか入った。抜けたマツゲかな。ちょっと見て」
俺はカゲミが大きく開いた左目を覗き込む。「なんもねーぞ」「下のほーだよ」。俺はさらに顔を近付ける。するとカゲミが目を閉じやがった。なんとなく俺はカゲミの唇に自分のを重ねてしまう。初対面のときから抱き合って寝たりしたせいか、俺たちの関係には、どーもタガというものが無い。この流れをどうにかしないと、そのうちセックスしちまうんだろーな、たぶん。問題だ。
「ヒ、ヒカワ、ヒャクデンパタ、キスしてんのか、お前ら。神聖な図書館で」
大きな声がして俺たちは飛び上がる。館内のまばらな閲覧者たちの注目が痛い。
「ノ、ノジマ先生。どーしてここに」「メールにここにいるって書いてあったろ。今夜からベンキョー会を始めるんで迎えに来た。シヅエさんが夕食も用意してくれてるからな。俺がそこまでしてやってるってのに、お前らはこんな場所でイチャイチャしやがって」「してないって。しかも声大きすぎ。目に入ったゴミ取ってたんです、ゴミを」「それはいい。みなさん、キスじゃありません。ゴミです、目のゴミ。さ、さっさとクルマに乗れ。いやー部活みたいで楽しいなったら楽しいな」「はぁ?」
ノジマ先生が俺とカゲミを勝手に化学部に部員登録していたことを知ったのは翌日のことだった。