ジャーニー・スルー・ザ・パスト 作:まりえしーる 発表日: 2005/08/29 15:00

新幹線を降りた俺は、予想してたよりずっと高い湿度に包まれた。豪雪地帯だから夏は涼しいのかなと思い込んでいた俺は無知だった。

駅ビルで花束を買いタクシーに乗る。冴えない夏の空。だけど気温は高い。

俺の目的地は山の中腹にあるようでタクシーは坂を登っていく。たくさんのセミたちが断末魔の悲鳴を上げている。夏の終わりが近い。

10分ほどで目的地に着く。帰りの足が無いようなのでタクシーに待っていてくれと頼み、俺は目的地に降り立った。広い墓地には去年この地域を襲った大地震の爪跡が、今も生々しく残っている。

多くの墓石が倒れ、転がったままだ。地割れの線上に乗ってしまった墓は基礎から粉砕されている。雨よけの青いビニールシートが目に痛い。

たくさんの生きているひとたちが、今でも、元の生活を取り戻そうとがんばっているんだ。墓をケアするほどの余裕を持てないひとたちが、まだたくさんいるんだ。

俺が目指す墓はすぐに見つかった。周囲のものよりもケタ違いに大きい、あのひとの墓は、なぜか無傷で、今、俺の目の前に、ある。俺は、ともすれば忘れてしまいがちな、できれば永久に忘れてしまいたい、残酷な現実と、初めて至近距離で対面している。

没後2年以上たっているのに墓前にはたくさんの花束がある。生前あのひとが、どれほど大きな存在であったかの一端に触れた気がする。俺は持参した花束を供え手を合わせるが、唱えるべき言葉が無い。俺にはこの現実すべてが無意味なような気もする一方、俺が経験していることすべてが、現実世界にとっては無意味な妄想であるような気もする。

俺には唱えるべき言葉が無い。ただ、この大いなる存在の墓を前にして、どうして俺なんですか、ホントに俺なんかでよかったんですか、と改めて思うばかりだ。

俺が、ずっと逃げていた、存在することを認めたくなかった、あのひとのお墓。できれば見ないでいたかった。知らんぷりをして一生過ごしたかった。でも俺はここに来ることが俺の果たさねばならない義務だと思った。これがケジメだと思った。何故そう思うのか、自分でもまるでわからないんだけど。

墓石に刻まれた、あのひとの名前は、とても美しい。俺は胸が押しつぶされる。涙を止めることができない。泣きながらタクシーに戻るのが恥ずかしいんで、ここで思いっきり泣いてしまうことにする。わかってる。泣く必要なんか、ない。いつでも俺たちはいっしょじゃないか。俺はあのひとのもので、あのひとは俺のものじゃないか。わかってる。でもイヤなんだ。アズサさんのお墓があるなんて、やっぱり、俺にはイヤなんだ。

泣きはらした目で俺はタクシーに戻り、次の目的地を告げる。後部座席で目を閉じ、初めてあのひとと出会った頃のことを思い出す。血も凍るような恐怖と、脳が溶けてしまいそうな快感を同時に味わった日々。人間はどんな環境にも、じきに慣れてしまう動物だというのは半分ホントで、半分ウソだ。俺は徐々に恐怖を感じなくなり、あのひとのことを互いに気を使わなくて済む同居人程度に思うようになっていったが、あのひととのセックスの強烈な快感には、結局慣れることはなかった。1年以上続いた、言葉を交わさない肉体だけの関係は、なぜか俺たちを強い絆で結びつけた。

あのひとの名前を知った瞬間に俺は、自分が恋をしていることをはっきり自覚したんだな、きっと。

それからの数ヶ月は、俺が生まれて初めて体験した愛の暮らしだった。俺は何かを失ったのかもしれないけれど、得たものが大きすぎて見えない。

この夏いろんなことがあって、カタチは違ったものになったけど、俺の心はいつでもアズサさんとともにある。全身全霊で愛しているひとがいる今も、これだけは変わらない。俺はアズサさんとともにある。アズサさんへの、この思いがなければ、俺は俺じゃない。俺じゃなくなった俺が生きてたって何の意味も無いじゃないか。俺はアズサさんとともにある。

タクシードライバーに到着を告げられ、俺はその建物を見る。異形の館。あのひとに心酔したひとたちには、この建物にオーラが見えたのだろうか。この建物が現在も機能しているのか、内部でなにかが行われているのか、俺は知らない。俺の目には、この建物は、あのひとを閉じ込めていた牢獄にしか見えない。光速教団。ここには俺の心を震えさせるものは、なにも無い。

俺はドライバーにもう一度墓地に戻ってくれと頼む。忘れ物ですか。うん、大事なものを忘れちゃったんだ。

再びあのひとの墓前に立った俺は誓う。俺は悪魔になります。俺は鬼になります。俺にはすべてを捨てる用意があります。

忘れ物で時間をロスしたため、食事は駅弁で済ませることにして俺は帰りの新幹線に飛び乗った。行き帰りともに指定でふたり分チケットを買ってあったから乗り遅れたくなかったんだ。いつだって俺は、アズサさんとともにある。


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