亜熱帯の街で 作:まりえしーる 発表日: 2005/08/27 16:00

寝室のエアコンが壊れた。以前から不調だったということで、買い物王の異名を持つエリカさんはとっくに後継機を購買済みだ。 その新エアコンの取り付け工事が明日、というときになって、 まるで捨てられる恨みを果たすかのように現行機さまが逝ってしまわれるのだから人生は面白い。

いつも不思議に思うのだが、何故家電品というものはタバになってイカレル傾向があるのだろう。洗濯機がヤられると冷蔵庫、 その後を追うテレビ、みたいな。ま、今回はエアコンだけなんだけど。

「一晩くらいは野生の根性で眠れるって」とベッドに入ってはみたが、なにせ今朝台風がおれたちの街を通過したという状況下、 今夜はこの夏最強の熱帯夜だ。アフリカ人だろうがバリから来たひとだろうが泣きが入る、 というくらい過酷なトーキョーの夏の夜、横になったとたんに汗が吹き出る。 白状すると、俺たちはふたりそろってアイカタ依存症で、カラダをくっつけてないと落ち着かないくらいベタベタなカップル なんだけど、さすがに今夜はお互いの体温が凶器のように思えてくる。

「冷たいシャワー浴びよう、ってさっきも浴びたばっかだね」「とりあえず、寝るのあきらめてみよっか」

俺たちはエアコンが健在のリビングで涼む。もう自らの野生へのこだわりは放棄して、 ここにベッドを持ち込むかソファで寝るのが得策なんじゃないだろうか。「ビール飲んじゃおうかな」「寝室に戻るつもりが ないのなら、どーぞ」「む。酔うとさらに暑くなるとゆーことか」

エリカさんが何かを考え始める。こんな些細なトラブルでビールを我慢しなくてはならないという現状が気にくわないんだろーな 、きっと。

「よし。今夜は外泊よ」「はぁ?」「レイボーの効いたラブホでビール飲んで快適に眠る。これこそが青春の一夜、 アバンチュリエール、日常生活の冒険。涼しいラブホのベッドはありったけの愛だけでできてると思いませんか」

てなわけで俺たちはスチームローラーに押しつぶされたような夜の街にさまよい出た。外泊は浅草のラブホ以来でけっこう どきどきする。クソ暑いけど腕をくんじゃえ。

俺たちの街のラブホを使うのはふたりとも初めてだ。場所はなんとなくわかる。フーゾク系の店が並ぶあのあたりにあったよな。 おお、見えてきた。これまで何の感慨も無く眺めていた建物の外観が、不思議なことに俺たちの 本能のアフターバーナーに火をつけてくれる。

どーせ夏休みだ、朝まで眠らなくてもいーや。俺は当初の目的を完全に忘れている。「満室」という表示がオフになってるって ことはスムースに快適なお部屋に直行できるってことだ。

俺たちは目を合わせ、お互いのぎこちない笑顔を確認する。ああ、どーしてセックスがらみのことになると今だに俺たちは。 だけど幸せ。そんなタイミングでどっかから誰かの声が聞こえてきた。

「あそこのカップルさあ、トゥード・アズールのツインタワーじゃねえの?」「うそ。あ、ホントだ」

俺たちの背筋は凍りついた。「な、なんなの、今の」「わかんね。でもとりあえず、一回通り過ぎよっか」 「とーぜんだよー。できれば走って逃げたい」

「エリカさんってさ、実は有名人なんじゃないの」「あたしのせいにしないでよ。ふたりでいるからバレたってことでしょ」 「俺たち、ツインタワーって呼ばれてるのかな」「ヒネリも何にも無くて泣きたくなるよなネーミングだわ、とほほ」

俺たちは漫然と歩いた。悲しいかな、他のラブホの心当たりは無い。ネットで検索してから家を出るべきだったと後悔 してもしょーがない。

「そろそろ戻ってみよっか」「うん」。もう誰にも見られませんように、と祈りながら来た道を戻る。暑い。シャワー浴びたい。

よし、今度こそ、とラブホの入り口を目指すと、またどこかから男女の声が。

「あのツインタワーってできてたんだ」「えーファンだったのにがっかりー」「フケツだよな、ラブホに入るなんて」

エリカさんはパニックを起こした人間特有のうつろな目になっている。「もう帰りましょう。リビングでだらだら過ごせば いいってことで」、と俺が提案していると、さっきの男女の忍び笑いが聞こえた。

「む。この声。あーわかった。出て来い、てめーら」。エリカさんが怒鳴った。

「わり。わーはははははははは。あー面白かった」と言いながら暗がりから現れたのは、ドレッドのひととエメさんだった。 「ライブハウス出たとこでお前らを見つけた。なんかロボットみたいな歩き方してるんで、ははーん、と思って 後つけたら案の定ヤマシイ場所を目指してやがった。わははははは。わりーなジャマしちまって」

「あ、あのさ、エアコンが故障して、とても家にいられなかったからぁ。それだけ、それだけよ」

そのとき、中年男とハタチくらいの女がやってきて、ラブホに入っていく。俺たちが見ているその前で、「満室」サインが 点灯した。

「あ」。俺とエリカさんはボーゼンとなった。「く。かくなるうえは、エメ」「なあに」 「つきあってもらうわよ。朝まで飲むぞ、てめーら。シュッパツだ」

俺たちは居酒屋に向かって歩き出した。どーしてですか。なんでこうなるんですか。エメさんは笑っているが、ドレッドの ひとの後悔の念は深そうだった。


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