運命が触れた夜 作:まりえしーる 発表日: 2005/08/26 14:00

「カイエの最近のフェイバリットくん、狙われたみたいよ」「なにそれ」

クラブで遊んでいたカイエは、そんな話を顔見知りの女から聞かされ驚く。先日突然暴力性を発揮したあの少年にノックアウトされた3人組が、他の仲間を集めて報復しようとしているのだという。あの3人組に誘われた男からの情報らしい。

決行は、今夜。場所は近々取り壊される予定のビルの地下駐車場。少年は家から拉致されてそこに来ることになっているという。あのテーノー3人組が、よく少年の住所を調べ出したもんだなあ。カイエは現場に向かうことにした。

あたしが食べる前にあの少年がタコ殴りにされちゃうのは面白くない。でもここまで来たら止めようがないんじゃないかな。とりあえず、ことの顛末は見ておきたい。あの子の違う面が見えるかもしれないし。

カイエは廃墟ビルの地下駐車場にゆっくりと降りていく。ただでさえ大きなミュールの足音を、さらに強調しながら。余裕を見せ付けるポーズで地下に降り立ち、周囲を見渡す。

なんだこりゃあ。

男たちが倒れている。血を流している者もいる。バットや木刀が落ちている。

3人組のひとりを見つけて、カイエは駆け寄る。「なにがあったの?誰にやられたの?」

男がうめきながら答える。「う。わかんねー。なんか急に、よ、ケンカが始まって。みんな暴れ出して」「あの子は?あの子はどこ?」「まだ呼びにも行ってねー。ここに集まって手順の確認しようとしてたら、いきなり見境無い殴りあいになっちまって」「救急車呼ぼーか」「いや、そいつはダメだ」

警察沙汰を嫌ってるのか。じゃあ好きにしなさい。

「わかった。あたしもここに来なかった、何も見なかったことにしとく」「それでいい」

カイエは立ち去ることにした。でも、その前に。「ね。あの子の住所知ってるの?」「ああ、おめーのガッコのやつおどして調べさせた。いてて。手首折れてっかも。パンツのポケットに紙入ってる」

カイエは住所の書かれたメモを取り出した。「なんかよ、あのガキ、エンギ悪いんじゃねーか。わけわかんねー、こんなメに会うなんて。カイエ、あいつあぶねーよ。近寄らねーほーが」「サンキュ。じゃあお大事に」

とりあえず、あの子が家に今いるかどうかが気になる。こないだのあの子は、確かにエンギ悪そーだった。突然なにかに憑依されたみたいにキレた。ま、キレるやつってのは大体突然キレる。でもあの子のケンカの仕方は、フツーじゃない。キレて暴れる、ってノリじゃない。3人を一度に相手にすることを計算した冷静さがあったんじゃないか。その冷たさがエンギ悪さの正体なんじゃないかな。

おもしろいや。

カイエはタクシーを広い、メモに書かれた住所を告げる。ワンメーターで着く距離だった。タクシーを降りたカイエはケータイを使う。

「もしもし、あたし。今から1年のヒカワって子のアパートを訪問するの。それだけ。ん、なんだか通話記録残しといたほうがいーよーな気がしただけ。じゃね」

郵便受けが並ぶ中に少年の名前は無い。コドモのくせにやることがいちいちウサンくさいな。それにしても空室だらけじゃないか、このアパート。1階の住人は彼だけなのか。ホントにあの子はここに住んでるのか、と思ってメモにある104号室を眺めると、窓に灯りが見える。

じゃあ家庭訪問といきますか、と歩き出した瞬間、ミュールのベルトが切れる。完全に使い物にならなくなってしまった。なんで?カイエは戸惑い、なんとなく後ろを振り返る。乗ってきたタクシーはすでに走り去っている。ええい、迷う必要なんてない。

カイエはハダシで歩き出し少年の部屋の前に立つ。ドアチャイムを鳴らす。返事が無い。もう一度鳴らす。室内にひとの気配がした。

ドアが開き少年が顔を出す。ひどくやつれていて、まるで死人のようだ、とカイエは思う。

「近くを歩いてたら、ミュール、こわれちゃった。ほら。ちょっと入れてくれないかな」

少年は返事をせず、ゆっくりとカイエに接近してくる。え、と思っているとカイエは寄りかかってきた少年に押し倒されてしまう。

「え?なに?どうしたの?」。上に乗った少年をゆすっても反応がない。カイエは少年が気絶していることに気付く。なんとか少年の下から這い出したカイエは、苦労して彼を部屋の中に引きずり込む。

息はしてるみたい。いったいなんて夜なんだ、今夜は。

カイエは床にへたりこみ、荒い呼吸を整える。目の前に横たわる少年を見つめていたカイエは、頬に冷たいものが触れるのを感じる。

後ろに誰かいる。

振り返ろうとしたカイエは、体が動かせないことに気付く。何かが後ろにいて、あたしの顔に触っている。なに?なんなの?

カイエは唯一動かせる眼球で左頬を見るが、そこにはなにもない。

突然カイエのアタマの中で、声のような、映像のような、絶対に自分の考えではない、他者からのメッセージとしか言いようのないモノが閃く。

出て行け。

後ろにいる何かが言ってるの?

出て行け。出て行け。

アタマが割れそうだ。

出て行け。出て行け。出て行け。

出て行きます。だから、もうやめて。

出て行け。出て行け。出て行け。出て行け。出て行け。出て行け。出て行け。出て行け。
出て行け。出て行け。出て行け。出て行け。出て行け。出て行け。出て行け。出て行け。
出て行け。出て行け。出て行け。出て行け。出て行け。出て行け。出て行け。出て行け。
出て行け。出て行け。出て行け。出て行け。出て行け。出て行け。出て行け。出て行け。
出て行け。出て行け。出て行け。出て行け。出て行け。出て行け。出て行け。出て行け。

気が付いたとき、カイエは大きな通りの歩道をハダシで歩いていた。バッグはぶら下げているが、ミュールはどこかに消えている。アタマの中ではずっと、出て行け、というイメージが点滅を続けている。どうしちゃったの、あたし。ともかく逃げなきゃいけないんだ、きっと。

タクシーに手を上げる。2台に無視されたが、3台目の運転手はカイエがハダシでいることに気付き、クルマを止めて降りてくる。

「お嬢さん、どうしました。誰かに追われてるんですか。ケーサツに連絡しますか」

「乗せて。早く。逃げて、ここから」

運転手はカイエの背中を抱き後部座席に誘導してからクルマをスタートさせる。カイエの聞くメッセージは止まらない。「どこに行けばいいでしょう。近くにコーバンがあるけど」「ケーサツはいいの。走って。この道をずっと走って」

30分近く走った頃、カイエはアタマの中のメッセージがかぼそくなり、遂に消滅するのを感じた。時間がたったから消えたのか、充分遠くまで逃げたからなのか、カイエにはわからない。

「運転手さん、ごめん。今来た道をまた戻ってもらえるかな」「え。いいですけど。お客さん、ホントに大丈夫ですか?病院かケーサツ、行かなくても?」「いいの」

家には帰りたい。せめて履きなれた靴がある家には。タクシーは加速した。


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