見えざる手に導かれ 作:まりえしーる 発表日: 2005/08/23 14:30

「ヒカワー、実験器材の搬入手伝ってくれ」

数学が自習になったんで机に突っ伏して寝ていたら、ノジマ先生の声で起こされた。「センセ、なんで俺なんでしょう」「他のみんなは自習で忙しい」

ノジマ先生は今日のために自宅で化学の実験器材を用意してたんだが、今朝マンションのエレベーターが故障したため自分で運び出すのを断念したんだという。

「階段で運べない量、ですか」「段ボール箱6個だ」「部屋は何階ですかあ」「7階だ」「エレベーターはもう復旧したのかな」「してればお前に手伝わせたりしない」

「そう暗くなるな。昼飯ごちそうするから」と先生になだめられながら教室を出たところで、遅刻したカゲミが寝ぼけた顔で歩いてくるのに出くわす。「あ、ヒャクデンパタ、ちょうどいい。お前も来い」「はぁ?」「遅刻チャラにしてやるから」。ノジマ先生にそんなことができるとはとても思えない。

俺とカゲミは先生のクルマの後部座席に乗り込む。「10分で着く。見ろ、この加速を」。この先生のことだ、たぶん燃料に何か混ぜてるに違いない。「センセ、その赤いボタンはなんですか」「ターボのリミッター解除ボタンだ。こっちがニトロ投入ボタン」。聞くんじゃなかった。現役高校教師による違法改造のウンチクが始まってしまい、その長い呪文の効果で俺とカゲミは眠りに落ちた。

「着いたぞ。起きろ」。なんかやわらかくて気持ちいーなーと思いながら眠っていた俺はその声で目を覚ます。「ヒャクデンパタさん、着いたってよ」。いつの間にか俺の上に乗って寝ているカゲミに声をかける。「えぇぇ?」「起きろよ」「あー。起きる。起きるから、手、どかして」「え」。見ると、俺の手のひらの中にカゲミの胸があった。「あ、わり」「手を離してからあやまるのがフツーじゃないかあ。ま、いっか。おやすみ」「わりーな。おやすみ」

「お前ら、いーかげんにしろ。起きろ」。俺たちは今度こそ起きた。駐車場からエントランスに入ると、危惧していたとおりエレベーターはまだ故障中だった。「よし登るぞ」。俺たちはだらだらと階段を7階まで上った。

「しまった。部屋のカギをクルマに忘れてきた」「はぁ?」「ヒカワ、ひとっぱしり頼む」。クルマのキーを受け取り、俺は同じコースを往復させられた。なんなんだ。

やっと部屋に入る。ケーブルとパイプのジャングルというマッドサイエンティストの部屋を想像していたんだけど、意外とまともだった。「独身にしちゃキレーにしてますね」「奥ちゃんのおかげだ」「け、結婚してたんですかぁ」「ん。妻子持ちだが、何か?」

世界は広い。マニアっているんだな。

「これがその器材だ。ヒカワ3個、俺が2個、彼女が1個。これで一回で運べる」「俺、3個ですか」「リーチの長さで決定した。俺は3個積み上げて持てない。うん。これこそが最適化された解だ。美しい」

そこで先生のケータイが鳴る。「もしもし。あ、シヅエさん。どしたんですかー。え、イマリちゃんが。それはタイヘンだ。僕がすぐ行く。シヅエさんは心配しないで仕事してて。じゃあ病院に着いたら連絡するから」

なんだこの会話は。

「キミたち。非常事態だ。娘が保育園で熱を出した。俺はこれから娘を迎えに行ってそのまま病院に行く」「はぁ?」「ここで待っててくれ。冷蔵庫に枝豆と麦茶があるから。じゃあな」

先生は行ってしまった。

「リーダーといると、まともな学校生活は」「言うな。俺のせいじゃないんだから。枝豆、だってよ」「食欲ない」

俺たちはマンションの中をうろうろした。とはいっても2LDKだから探検は1分で済んだが。「ベッドがあるな」「夫婦の寝室、ってか」。俺は寝室のエアコンを入れベッドに寝そべる。「リーダー、もうちっと端に寄れよ」「おめーも寝るのかよ」「あたりめーだろ。自分だけ寝るなよ」

カゲミはマクラを「オヤジくさい」と言って床に投げ捨てる。「あれ、こんなものが」。マクラの下にコンドームが用意されていた。

俺たちは並んで横になり、コンドームを眺めながらしばらくの間あーだこーだしゃべった。

「リーダー、カイエってひと覚えてるかな」「カイエ?」「リーダーが1年のとき3年生だったらしい」「ああ、覚えてる」「どんなひとだった」「なんかマイペースなひとだったな。でもなんでお前があのひと知ってんの」「有名だったみたいでウワサ聞いた。リーダーがなんか知ってるかなって思っただけ」「そっか」「つきあい無かったのか」「メシおごってもらったことがあったかな。なかったかな?よく覚えてねーや」「そんな程度か」「俺、さあ、ガッコ入った頃、とんでもないことに見舞われてて、それ以外のことはどーでもよかったんだ」「なんだそれ」「ひとには言えねー個人的なことなんだけどさ、アタマん中それでいっぱい。人生変わっちまった」「なにがあったんだか」「言えない」「そっか。でさあ、カイエってひと、突然退学して引越ししたとか」「ああ、そんなことあったな」「あのガッコ、その手のハナシがけっこうあったみたいだな」「そっか。でもそれほど珍しいことでもねーだろ」

「守護神とか守護霊っていると思う?」「なんだそりゃ。トートツに」「トートツに思っただけ。いるかな」「わかんね」「リーダーにはついてると思う?」「あー。うーん。なんだかな」「いるんだ」「なんつーか」「いつになく歯切れ悪いな。別に他愛も無いハナシだろ」「そーだな」「いるのか」「守護神とかってのとは違うんだけどな、思いっきり」「ホントにいるんだ。どんなカンジの?」「地上最強っつーか」「なんだよ、それ」「ジョーダンだってジョーダン。んなもんいるわきゃねーだろ」

「なあ、もし、もしもだよ、リーダーには凄い守護神がついてて、リーダーの知らないところで、リーダーにワルさしようとしてる連中を消してたりしたらどー思う?」「おめーなんかアタマん中に絵があって話してるだろ、さっきから。何考えてんだ。おめーが俺の敵をスイープしてくれる、とか」「うん。それもいいな。今日からあたしがガードしてやろう」「あはは、このスリムでかわいいお嬢様の庇護のもと、俺はすくすくと成長していくんだ」

「あたしを見た目でナメちゃいけないぜ」。カゲミは身を起こして俺に乗っかってきた。「あたしの力を、リーダーは何も知っちゃいないよ」。カゲミは俺にキスをする。

「じゃあ思い知らせてもらおう」。俺は反転し体を入れ替える。カゲミに覆いかぶさるかたちになってキスを続ける。俺たちはお互いに話をうやむやにしようとしている。

俺にはカゲミが描いている絵がおぼろげに見える。でも、こいつはどこまで知っているんだろう。

唇を離すとカゲミがあえぐ。「リーダー、裏切り者にはなりたくない。でも止められない自分がこわいんだ」

「その心配は必要ない、今日のところは」「なんで?」「センセが帰ってきた」。玄関が開く音が聞こえ、「おーい、待たせたなー」とノジマ先生の声がする。

俺たちは手をつないでベッドを出た。「エレベーターが直ってたぞ。器材さっさと運んで俺はまた病院に戻んなきゃいかん。イマリちゃんが診察中だからな。さあいくぞ。お前ら寝ぐせぐらい直せ。さあ運べ運べ」

エレベーターが回復したおかげで器材を台車に乗せて車まで運ぶことができた。俺たちはなんのために来たんだろうな。

「じゃあ実験室に運んどいてくれ。よろしくー」。先生は俺たちと器材をガッコで下ろし、そのまま病院に戻っていった。「あ、昼メシ」「しまった。逃げられた」

台車を押す俺の目の前にカゲミがポケットから出したモノをかざす。「なにそれ。持ってきちゃったのかよ」「この次はお世話になるだろうと思って、さ」「ばーか、次なんてぜってーねーよ」「よく言うぜ。その気になってたのはどっちだったかな」

俺たちはそれぞれのアタマの中に、会話とはまるで別のさまざまな思いを描きながら実験室へと歩いた。


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