海と空の距離 作:まりえしーる 発表日: 2005/08/16 13:00

まるで映画だ。俺たちは今、フロリダ半島からキーウエストという島を目指してオーバーシーズ・ハイウェイ、つまり海上の道を走っている。有名なセブン・マイル・ブリッジに入った瞬間は、そりゃーもう興奮した。「すげー」「水平線に向かう一本道だねー」

俺はエリカさん一家の家族旅行に同行してるんだ。なんか思いつきで今年はマイアミに行こう、ってことになったらしい。金持ちの生活ってそんなもんなんだろうか。エリカさんのご両親とお姉さんとそのダンナさんってメンツでデトロイト経由でアイマミにやって来た。エリカさんの家族は、理由が俺にはさっぱりわからないんだけど、俺のことを物凄く気に入ってくれてて、婚約騒ぎの最初からムスコとして可愛がってくれてる。無愛想でいつもぼーっとしているこの俺を、だ。でもエリカさんと家族の間には微妙な緊張関係があるようで、エリカさんは家族とは別行動をしたがる傾向がある。エリカさんがひとり暮らしをしてる理由もそのあたりにあるんだろうけど、今のところ俺は立ち入ったことは聞かないようにしている。ま、そんなわけで今日の俺たちは、ふたりだけでキーウエストに向けてドライブしているんだ。

俺は免許を持ってないんでレンタカーを運転してるのは当然エリカさんだ。日本でエリカさんがクルマ走らせてるのを見たことがない。エリカさん曰く、「トーキョーじゃクルマは足手まといなだけ」なんだそうで、運転は海外でしかしたことないとか。

夏のフロリダは蒸し暑いし蚊柱は立ってるしで、あまり快適とは言えない。本来観光客にとっては年末年始を過ごす場所なんじゃないだろうか。でも海上ドライブは楽しい。島と島を結ぶハイウェイを走るのは、正直すぐ慣れちゃって何も感じなくなるんだけど、ラストには感動のセブンマイル・ブリッジが待ってるってわけだ。

「エリカさん、運転させっぱなしでごめんね。俺も日本帰ったら免許取る」「信号の無い道走るのはラクよ。おしゃ、とばすぜボーイ」「きゃほー」

でも長時間の運転はやっぱ疲れるだろうな。今夜はたっぷりマッサージしてあげよう。朝まで。

キーウエストではヘミングウェイの家でネコを見たりTシャツを買ったりして過ごした。ぶらぶら歩いているとアメリカ最南端の標識に出会う。「ずいぶん遠くまで来ちゃったね、俺たち」「それは距離のハナシ?」「それもあるんだけど。エリカさんに会うまでの俺と、今の俺。とんでもなく違うんだ」「悪の世界に引きずり込まれてしまった、とか」「そのとーり。今年の春まではキヨラカな少年でした」「あはは、あたしの方がもっとキヨラカだったぞ」

ここで俺たちはふたりとも赤面してしまう。なんでですか。なんで今だに俺たちはセックス関連の話題で固まってしまうのですか。

「歩こっか」。俺たちはおずおずと手をつないで歩いた。

マイマミからキーウエストへ日帰りでドライブするのは、せっかちな日本人だけかもしれない、と何の根拠も無く俺は考える。一泊したほうがよかったかな。だって食事のときエリカさんはビールをガマンしなきゃいけないんだ。帰りの運転があるから。ごめんね、免許無くて。俺ってホント、何の価値もありゃしない。エリカさんはいつも楽しそうにしてくれてるけど、こんな男と貴重な時間を過ごしてていいんですか。セブンマイル・ブリッジから突き落としてくれてもいいんですよ。

キーラーゴを通過してフロリダ半島に戻った頃にはすっかり夜になってしまった。大湿原の中を俺たちは知ってる歌を全部歌いながら走る。「メウ・プラネタ・デウ〜ス」「エーヴァ」。イヴェッチ・サンガロの「エヴァ」をがなっているとき、エリカさんが突然クルマを止める。

「ヒカワくん、見て」、エリカさんは空を指差す。「ぐは、なんだこりゃ」

クルマを路肩に寄せて、俺たちは車外に出た。そこは人工の灯りがまったく無い世界だった。俺たちを包んでいるのはフロリダの湿気と、吐き気がするほど夥しい数の星、星、星、星。

こんな光景は見たことがない。俺たちは寄り添って星空を見上げる。

「ね、プロポーズしてくれたときのこと覚えてる?」「忘れられるはずがないでしょ、あんな怖い場面」「なんか、思い出すね。こんな空を見てると」

でもね、エリカさん、俺にはあのときのフェイクの星空のほうがずっときれいに見えたんですよ。そして、どんな星空を持って来たところで、エリカさんの美しさの前では雲散霧消してしまう。

俺たちは目を合わせ、キスした。キスをしながら、俺は何故か視線にさらされている気がしはじめ、それからあることを思い出した。

「ねえ、エリカさん」「なあに」「このあたりってさ、もしかしたら、クロコダイルの保護地域ってやつじゃないかな」「そういえば、さっき足元でなんか動いてたような」

俺たちはあわててクルマに飛び乗り、マイアミのホテル目指して走った。


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