「カゲミちゃんってかわいいね」。肉野菜炒めを作りながらエリカさんが急に言い出した。「いっつもふてくされ
てるけどね」と、俺はギョーザの皮で具を包みながら答える。
「ヒカワくんだってメイクしたあの娘見て絶賛してたじゃない」「あ。そーいやヒャクデンパタさんが化粧してるの
見たことない。あのさ、化粧落とすのってセッケンでいいの?」「メイク落としが必要。化粧品は石油製品なのよ、
オーザッパに言って。アブラはアブラで落とさないと」「あいつ、絶対そんなもん持ってない」「うそ」
「間違いない」「あらま。じゃ、どーしたかな」「あいつはたぶんクレンザーとかでゴーインに落とす
んじゃないかな」「わー。悪いことしちゃったかなー。今度あやまっといてよ」「あいつはそんなこと気にしないと
思うよ、たぶん」「よしっ、今度会ったらメイク落としをプレゼントしてからイジってあげよう」
「でもメイクの威力ってすごいね。エリカさんは素顔がすげー美人だから驚かないけど、ヒャクデンパタさんは別人
だった」「わざと別人っぽく作ったからだよ。きれいだったなー。帰り道、あの娘スカウトされてたりして」
フライパンから大きな炎があがる。エリカさんの料理はゴーカイだ。食材をぶったぎって焼くか炒めるかのどっちか
なんだけど、これがうまい。しかも早い。料理ができるひとってすごい、と俺はいつも思う。テキトーに塩・コショウ
をふりかけるだけで、どうしてあんな味が作れるんだろう。センスというものの偉大さを思い知らされる。
あっという間にテーブルに料理の数々が並ぶ。「いただきまーす」。できたてのおいしい料理を食べられるって、なんて
幸せなことなんだろう。俺なんかがこんな恵まれた境遇にいていいんだろうか、といつも思う。俺は死後絶対地獄に落ちる。
「エリカさんもしょっちゅうスカウトされてるでしょ」「バレーボール、バスケ、モデルのスカウト話はあたしの人生
の一部っていうくらい多かったなー。カゲミちゃんの場合は、あたしとは違ってタレント系のスカウトが来るかもよ」
「そんなもんかな」
「そーゆーもの」「メイクの力ってすごいね」「素材としてあの娘はステキなのよ。メイクでもともとの良さが際立った
だけなの。ん?ひらめいた。食後はアートの時間にします」「はぁ?」
食器洗いは俺の担当、っていうか食事にまつわることで俺ができるのはこれくらいなんですよ、すいません、慎んで
洗わせていただきます、と俺が作業していると、エリカさんはなにやらメイク道具をテーブルに並べている。
「終わりました」「おつかれさまでした。ね、ね、ヒカワくん、顔洗っておいでよ」「え」「さあ行った行った」
俺が洗顔フォームで顔を洗って戻ると、「じゃあここにお座りください、ヒカワさま」「なにが始まるのでしょうか、エリカ
さま」「すぐにわかりますのでご安心ください」「とても不安です」「お客様の予感は的中しております。
これからヒカワくんにメイクを施させていただきます」「はぁ?」
エリカさんは俺に、な、なんと化粧をし始めた。「いいじゃない、アソビ、アソビ。すぐ落としてあげるから」
口紅の味だけは、俺は知ってる。だが他のアイテムは未知のものばかりだ。料理と同じでエリカさんの仕事は早い。迷いというもの
が一切無い。
「できた。よしっ、じゃあ鏡を見てみよー」。俺は鼻が白い、と思いながらドレッサーに向かう。うわ。
トゥード・アズールの女子メンバーから、俺はエリカさんに似ているとよく言われた。今だにオトウトくんと呼ばれたりもしてる。
自分ではそれがよくわからなかった。だが今はっきりわかった。
ああ、なんということでしょう。俺は確かにエリカさんに似ています。っつーかお前誰だ。鏡の中にはオンナがいました。
「きれいだ。きれいだよね。ね、ね。どう?気に入った?」「エリカさ〜ん。もうやめようよ」「情けない声ださないでよ、
美人じゃない。あたしが男だったらほっとかないかな。そーだ、シャシンとっとこーよ」「そ、それだけは」
エリカさんはケータイを取り出した。「わーははははは、モー遅いわ。はははははははは」「や、やめろ毒婦め」
俺はケータイを奪おうとエリカさんをつかまえて、悲しいかな話のスジとは関係なく欲情しキスしてしまう。
俺のビジョンはいつもと変わらない。だがエリカさんは別の世界を見ているらしい。
「すっごい倒錯した世界にいるみたい」「あ、そっか。第三者が見たらヘンタイカップルか」「甘くてキケンだわ」
「え?甘いの?」「うん、ちょっとどきどきした」「引き返そう、今ならまだ戻れる」
えー、いーじゃん、もーすこし、というエリカさんをなだめ、俺はメイクを落とした。が、結局セッケンではうまく
落ちないってことを確認しただけだった。