放課後カゲミは校門でリーダーが出てくるのを待っている。前を通り過ぎる男子の多くが
カゲミに目をやるが、彼らの姿はカゲミの意識の中には入ってこない。
唯一カゲミが意識したのは先日遭遇した150cmトリオの下校場面だ。トリオはカゲミに「ちーす」と
アタマを下げ帰って行った。あいつらとはいずれ決着をつけなきゃな、とカゲミは思う。
むこうもその気だろう。こないだはリーダーが序列を決めて収束したけど、どっちが上かは
自分らで決めなきゃ。それにしても。
どうしてヤツらはリーダーのあんな不可解な説教でシッポを丸めたんだろう。リーダーの影響力の理由が
わからない。
ま、その件はいずれ解明しよう。今はそれどころじゃない。あたしには緊急かつ難易度超抜な任務があるんだ。
体育教師に呼び止められてたリーダーがやっと出てきた。リーダーはなんであんなにセンセーたちに声かけられるんだろう。
あんなに無愛想なのに。
リーダーと呼ばれる男はカゲミに気づく。その目には「?」と描いてある。「リーダー、ちょっと話がある」「屋上で
決闘しよう、ってか」「いっしょに歩いてもいいかな」「歩くだけなら」「思い上がるなよ、バカ」
「で、なによ、ハナシってのは」「じっ、実は、あ、あったしの」「噛むなよ。こっちまでキンチョーしちまう。こんなとこで
コクられたら俺、悩んで自殺しちまうぞ」「あーもーやだー」
「わり。なんか深刻そーだな。ちゃんと聞くから落ち着いてしゃべれ」「はあ。あたしじゃないぞ。知り合いがさ、
キャ、キャロットみき先生、じゃなくてキャロットみきのサインが、どーしても欲しいって言ってて」
「キャ、キャロット先生?あ、わり。そっか。驚いて悪かった。わかった。ちょっと待て」
男はポケットからケータイを取り出す。「あれ。ケータイ、買いなおしたんだ」「PHSだ。こないだの地震でこいつに決めた」。男は相手が出るのを待つ。
「あ、今大丈夫?何も変わりない?靴ズレ痛くない?よかった。うん、今ガッコ出たとこ。エリカさん、あのさ、同級生で
キャロットみきセンセーの、そうセンセー、あはは、サインが欲しいってのがいるんだけど。そう、女の子。あ、ホント?
じゃとりあえず例のコンビニに行くわ。じゃお願いします」
「あたしが欲しいんじゃないぞ、頼まれたんだ」「わかってるって。今日会えるかもよ」「え」
カゲミは男に連れられて歩く。コンビニの前にガリガリ君をかじっている背の高い女が見える。こないだリーダーにヘッド
ロックをかけていた女。リーダーの婚約者。
「お待たせしました。遅くなってごめんなさい」と言う男の口に背の高い女はガリガリ君を差し出す。男は素直にかじる。
なんだこいつらは、とカゲミは思う。「あ、エリカさん、うっ、コメカミいてえ。これが同級生のヒャクデンパタさん。
サインが欲しいってゆー」
「エリカです。よろしくー」。太陽みたいな笑顔だな、とカゲミは思う。「あ、どーも。はじめまして」。まぶしいや。
「ヒカワくんがいつもお世話になってます。ヒャクデンパタさん、下の名前はなんていうの?」「カゲミです」
「カゲミちゃん、ステキね。うん、これは響きがいいな。カゲミちゃん、じゃ、行こっか」
背の高い女はさっさと歩き始める。「おい、どこ行くんだよ」とカゲミは男に小声で聞く。「キャロットみきセンセーの家」
「はぁ?」
長身コンビはガリガリ君を交互にかじりながら靴ズレの話をしている。丁寧語が頻繁に混ざって妙な会話だな、とカゲミは思う。
女のほうはこまめに振り返りカゲミに声をかける。ガリガリ君に夢中であたしを忘れてるバカリーダーとはえらい違いだ。
女がケータイをかける。「あと2分で着くよ。そう、ファン一名さまご同行。じゃ後ほど」「あのー」とカゲミは声をかける。
「ん?どしたの」「そんな簡単にファンを、あ、あたしは頼まれただけなんですけど、ファンを自称するニンゲンを
簡単に作家さんの家に連れてっていいもんなのか、と」
「あはは、カゲミちゃんはオトナね。そのとおりよ。でもね、ヒカワくんが連れてきたってことは、あなたを信じて大丈夫って
ことなの。あたしは信じるもなにも、最初からなんにも疑ってなかったわ」「え」。なにそれ。
アパートの一室に着く。「いらっしゃい。入って」。中から出てきたのは若い女だった。自分よりちょっと上のオンナが
あの作品を描いているのか、とカゲミは意外に思う。「おじゃましまーす」。長身コンビはどんどん入っていく。
フローリングの上にタタミが並べてあり、その上に4人で座る。「エメ、カゲミちゃんよ。ヒカワくんのクラスメートで、
あなたのファン」。カゲミは自分がガチガチになっていることに驚く。「はっ、はじめまして」。あたしは命令されて
来てるだけのはずなのに。「こんなかわいいひとが読んでくれてるんだ。ありがとう。いいもの描かなきゃいけないね」。
カゲミは何も言えない。
「ビール飲もっか。あ、制服組は水でカンベンしてね」「エメ、酔っ払う前にサインしてあげてよ」「アドバイスありがと。
ぐちゃぐちゃなモノ描いちゃ失礼だよね。あたしなんかのマンガ読んでくれてるひとに」
カゲミはバッグからコミックスと色紙とマジックを出す。「これにお願いします。お手数おかけして申し訳ありません」
「そんなにキンチョーされると手が震えちゃう」。キャロットみきは言葉と裏腹に流れるような手さばきでサインとイラストを
描いた。
「はい、できました」「あっ、ありがとうございます」。受け取ったカゲミは、色紙に「カゲミさんへ」とあるのを見て顔を
赤らめる。「あ、あのっ、お願いがあります」。3人がカゲミに注目する。
「あの、握手してもらってもいいですか」
ぼーっとしているカゲミを除いた3人は雑談をしている。カゲミは色紙とコミックスを胸に抱いている自分に気づき、さらに赤くなる。
あたしはなにをやっているんだろう。
「ねえ、カゲミちゃん」。背の高い女が声をかける。「カゲミちゃんってすっごいかわいい。その無造作な感じがすごくいい。
めちゃくちゃいい素材だから違う魅力もカンタンに出せるね」「うんうん。あたしもそう思う」「はぁ?」
「ヒカワくん、悪いんだけど30分ばかし散歩してきてくれないかな。ごめんね」。背の高い女がそう言うと、男は立ち上がり部屋を
出て行く。リーダー、どこ行っちゃうの、なにがはじまるの。カゲミは不安になる。
背の高い女はバッグからポーチを取り出す。キャロットみきは角ばったケースを持ってくる。「ヒカワくんを驚かして
やろっか」。ふたりの酔っ払いオンナがカゲミに迫る。
30分後、コンビニで立ち読みをしていた男のPHSが鳴る。「ごめんね。帰ってきて。気をつけてね」「ラジャー」
「もうすぐヒカワくんが戻るから」「え。あ、それは、ちょっと、ヤです。笑われる」
「ふふふ、照れなくていいの。すっごいキレイなんだから」
電子音が鳴り、キャロットみきが玄関を開ける。男が入ってくる。男は目を見開いている。「え」「どう?ヒカワくん」
リーダー、笑わないで。
「ひゃ、ヒャクデンパタさん?」「そう。カゲミちゃん」「え…」
酔っ払いオンナふたりにナチュラル・メイクを施され、髪をセットされたカゲミは男の顔を見ることができない。「すげー」と男が息を呑む。
「ガッコのナンバーワンがここにいたんだ」
カゲミは丁重に礼を言い、アパートを出てコンビニの前まで長身コンビと歩いた。「じゃあね、カゲミちゃん。気をつけて
帰って。またね」「じゃな」「いろいろありがとうございました」
去っていくふたりにアタマを下げた後、カゲミはコンビニのガラスに映った自分を見てため息をつく。どっかでこのメイク
落とさなきゃ。このまま事務所に帰ったらみんなに笑われる。
駅のトイレで洗い流そうかな、と思いながら歩いているとカゲミは、知ってる顔の女子高生がむこうから来るのに気づく。
150cmトリオのひとりだ。カゲミはすれ違う瞬間その女子の腕をつかみ細い路地に引き込む。
「わ、びっくりした。あんた、あんたなの?誰だかわかんなかった。ガッコのときと全然違うんだ。すごいな」「そんな
こた、どーでもいーから。教えてくんないかな。キミらが大好きなあのセンパイ、何者なんだ。なんでキミらはあいつの
言いなりになったんだ」
「あんた、なにも知らないでセンパイにくっついてるんだ。テンコーセーだからしゃーねーか。でも知らないでいろよ。
ほとんどのやつは知らないことだし」「もっとじらしなよ。あたしは気が長いんだ。冬まで家に帰れなくなるぞ」
「センパイはブッキラボーだけど、やさしい。面倒見がいい。けど」「けど?」「センパイに手を出したヤツらはみんな
おかしなことになった」「おかしなこと?」「触らぬ神、ってヤツだ。もう、いいだろ。あたしもおっかねーんだ。センパイ
好きだけど。あんたはなんで無事なんだろーな。今だけかもしんねーけど」
女子はカゲミの腕を振り解いて走り去った。触らぬ神?なんだそりゃ。
カゲミは長身の男のことを考えながら事務所に戻った。「社長、今戻りました」「ど、どちら様で?」「はぁ?」
「カ、カゲミ?カゲミなのか」。社長と呼ばれた男は立ち上がりデスクを迂回してカゲミの前に立つ。
「カゲミ、カゲミなんだな?」「はい。何言ってるんですか。あ」。カゲミは帰る途中でメイクを落とすつもりでいたのにすっかり忘れて
いたことに気づく。「あ、あの、これはキャロットみき先生が、酔っ払って、冗談で」
「カゲミ、カゲミ、そうか、恋してるんだな、カゲミ、こんなにキレイになって、こんな日が来るなんて、俺は、俺は」
「社長、苦しいです。しっかりしてください」「俺はうれしいぞ。うれしいけど寂しい。ヨメになんかやるもんか。
相手はどいつだ。一発殴らせてくれ、カゲミ、カゲミー」
「しゃ、社長、気を確かに。サ、サインもらって来ましたから」「サイン?なにくだらねー話してるんだ。男手ひとつで
育てた娘がこんな美人になったんだ。俺は泣かずにはいられないよ、カゲミー」
社長と呼ばれた男は声を上げて泣き始めた。カゲミには、じっとしている以外なにもできることはなかった。