対象 作:まりえしーる 発表日: 2005/08/05 11:30

「エリカさん、マンガ読むんだ」。俺はリビングのテーブルに置いてあったコミックを手に取る。キャロットみき作「ひとみしりカルナバル」。少女マンガだ。

「それ、面白いよ」。アタマに巻いたブラジル国旗をはずしながらエリカさんが答える。「それ描いてるの、ヒカワくんも知ってるひとだよ」「え」

俺の知り合いで絵を描くひと。「え〜まさか」「そう。正解です」「まじっすか。すげー」

「エメは高校生の時からプロなんだよ。月に一本だけって条件で連載描いてる。ベンキョーとずっと両立させてきたのは凄いセルフ・コントロールだね。でも最近じわじわ売れ始めて仕事のオーダーが増えてきてるんだって。エメは卒業までは今のペースでやりたいって気持ちと、今来てる波に乗って仕事増やせば成功するかもって気持ちで揺れてるみたい」

へえ。人生の転機ってやつに悩みつつ俺たちといっしょに遊んでるのか。「エメさんって、なんかオトナなんだね」。ペンネームは「キャロットみき」だけど。

「あはは。エメはね、ヒカワくんてオトナだねって言ってたよ」「はぁ?」

「あんなコーコーセーいないよって言ってた。エメはヒカワくんにキョーミシンシンらしくて。ヒカワくんとあたしのことをモデルにして一本描いてもいいかなって言われた」「ぶ、ぶわ、そんなあ」「ダメって言ったけどさ。ヒカワくんを主人公にしたいんだって。キミの個性にはとても魅力がある、とエメは評価している。そりゃあそうでしょう、あたしのダンナになるひとなんだから、と自慢してやりました」

俺は何故か落ち着かなくなる。こんな俺に。なんでそんな過大評価が。ワナかな。みんなで俺をだまそうとしてるのか。

「ひとはひと、ヒカワくんはヒカワくん、だよ」「え」。なにをトートツに言い出すんだろう。

「ひとと較べて自分はダメだなあって思う気持ちはみんなが持ってる。けど、ヒカワくんはその傾向が特に強いような気がするの。強すぎるかも。でもね、キミに魅力を感じるひとたちがいるんだってことは忘れないでね」

アズサさんにも「なんで自分に自信がないのかな、キミは」みたいなことを、よく言われてた。俺に進歩とか成長とかが訪れる日は来るのだろうか。

「ごめんね、エラそーなこと言っちゃって。ごめんねごめんね。ね、ね、いっしょにシャワーあびよっか?」「え、しゃ、しゃ、しゃわー?」「あ、あれ?その、つまり、そんなつもりは」「い、いっしょに、って、あの」「ああ、そーだよね、あはは、それはちょっとねえ」「ははは、いや、イヤだなんて気持ちは」「ムリ言っちゃだめだよね、あはは」「ムリってわけじゃ、てゆーか、むしろ」「そんなんじゃないもんねえ」「そーですよねえ」「あはは」「はははは」

俺たちがバカみたいにぎくしゃくしながら浴室に向かおうとしたそのとき、エリカさんのケータイが鳴る。

「なんでこんなときに」ぴっ。「もしもし。月刊アモ?読んでないけど。え。うそお」

なんだろう。「あとで見てみる。ありがと。じゃあね」と電話を切ったエリカさんはため息をつく。

「今月のエメのマンガ、背の高い男子高校生と背の高い女子大生の恋のハナシなんだって」「はぁ?」「あれエリカのこと?ってアキに聞かれちゃったよー」「そんな」

知り合いに作家がいるのっておっかねーな。エリカさんは今からコンビニにチェックしに行こう、と言い出し、俺は気持ちもカラダもシャワーモードから切り替えられなくて困った。


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