アルファ 作:まりえしーる 発表日: 2005/07/29 11:30

「じゃあ今日の授業はここまで。おつかれさん。あ、ヒカワとヒャクデンパタは、ちょっと残ってくれ」

なんだろ。ノジマ先生に残れと命じられた俺とカゲミは視線を合わせ、お互いの瞳の中にクエスチョンマークを発見してから教壇に向かった。クラスの連中は部活や家へと去っていく。

「こないだは取り乱してすまなかったな。時間無いからすぐ本題だ。お前ら化学部に入れ」「はぁ?」「いやあ、2人しかいなかった部員がフツーの女の子に戻りたいって言って辞めちゃうんだ。廃部の危機だ。助けてくれ」

「なんで俺たちが?」「縁だ」「はぁ?」「お前らが生きて帰って来たとき、俺は確信したよ。お前たちは化学に愛されている生徒なんだって」「はいぃ?」「ボーン・トゥ・スタディ・ケミストリーだ。そんなお前たちでも、文化祭でハデな発表やるためには夏休み前からスタートしなきゃ間に合わん。だからすぐ始めよう」

俺たちはあっさり断って教室を出た。センセも大変だな、授業以外にも仕事があって。廃部は気の毒だけど、俺とカゲミが白衣着てフラスコ振る絵はイメージできないって。いや、カゲミの白衣姿はアリだな。あ、これは多くの男子が萌えるかも。メス持たせたらさらにハマる。カゲミに刃物って似合いすぎる。でもそれじゃ生物部だな。

「リーダー、1時間ばかし、つきあってくれないかな」

教壇に突っ伏して悲嘆にくれるノジマ先生を残し、教室を二人で出るとカゲミがそう言った。クラスの連中はとっくにいなくなってる。

「なにに」。俺は警戒モードに入る。ただでさえカゲミといるとトラブルが起きる頻度が高い。おまけに俺は自分が怖い。優柔不断な俺は、いつかカゲミとアヤマチを犯しちまうんじゃないか。そのうち絶対犯す。犯したい。い、いかん。でもどうしてしょっちゅうカゲミとふたりきりになっちまうんだろうか。

「マンキツつきあって」「はぁ?」

「ちょっと眠りたいんだ。3日くらいまともに寝てない。白状すれば、あたしはひとけの無い場所では眠れないんだ。いつも事務所で誰かが仕事してる時間に床で寝る。でもここんとこ来客続きで事務所で寝かせてもらえなくて。もうガッコの屋上は暑すぎるし。マンガ喫茶のブースに入って仮眠とりたいんだ。でも情けないことにひとりじゃ眠れない。隣でマンガでもエロサイトでも眺めててくれないかな。いてくれるだけでいいんだ。お願いします、リーダー」

こんな症状も睡眠障害と呼べるんだろうか。カゲミが屋上で熟睡できるのはいつも硬い床で寝てるからなのか。どんな環境で育ったんだろう。カゲミにまとわりついてる暗さは、生まれ育ちに起因するものなんだろうか。でもどんな育ちかたしたのかなんて、たいして苦労もせず育った俺が軽々しく推測してはいけないような気がする。

今夜エリカさんは大学の飲み会がある。終了時間に俺は店の前まで迎えに行く予定だ。夜道をエリカさんひとりで歩かせるのがイヤなんだ。この予定だけは絶対だ。つまりその時刻まではヒマなんです。「しゃーねえ。つきあってやる」。いいんだろうか。

「なあ、いつの間に俺はリーダー呼ばわりされてんだ」「群れのリーダーはアルファとも言うんだけど、アルファって呼ばれてもピンとこないだろ」「いや、そーゆーことじゃなくってさ。そもそも俺は仕切り屋じゃねーし」「アルファにはいろんなタイプがあんだよ。群れのことをパックってゆーんだけどさ、専制君主っぽくないリーダーが率いるパックは、おおむねピースフルな集団になる。あたしらの群れが、まさしくそいつだね」

とあるビルの4階までエレベーターで昇る。今日は停止するなよーと祈りながら。着いたのはオール個室のネットカフェだった。カゲミはカウンターに行き「禁煙、ペア、フルフラットシート」と告げる。フルフラット?

カウンターで指定されたブースに入る。パーティションに囲まれたセル。あるのはベッドとPCだけ、という空間だ。ベッドというよりマットというべき低さだけど。壁には「セックス禁止」という意味のメッセージが、かなり穏やかな表現で書いてある。またしてもこんな展開ですか。またですか。

「テキトーに飲み物やマンガ取ってきて楽しくやっててよ。1時間後に起こして。じゃ、おやすみ」

俺は一応ドリンクふたつと「ハッピー三国志」の最新刊を持ってブースにもどった。カゲミはだらしなく横になっている。はぁ。こんなとこ女と一緒に入ってたら、これはもう申し開きできねーよ、と今さらながらに思う。

カゲミはもう眠ってるんだろうか。「パインジュースでよかったかな」「なにそれ。でもサンキュ」「起きてたのか」「ひとりじゃ眠れないんだ。起きてる誰かが近くにいないと」「そっか。じゃあ安心して眠ってくれ」「ありがと」

俺はいったい何をやってるんだろう。狭いブースの中でマットの上に座り、隣には女子高生が寝ている。こんな状況でマンガ読む気なんかおきない。

俺もなんとなく横になってしまう。「お願い、横になってもあたしより先に寝ないで」「リョーカイ」。

俺は間違って眠っちまわないように頬杖をついて頭をおこしとくことにした。他に見るものも無いんでカゲミの寝顔を眺める。寝息と共に上下する胸を眺める。不思議な生き物だ。

カゲミはなんでこんなにモンダイを抱え込んでいるんだろう。なんか苦労してるよな。生きることは大変だ、誰にとっても。でもカゲミはひとの3倍くらい重いモノを背負って生きてるんじゃないだろうか。

「リーダー」「なに」「ブラはずしてくんないかにゃあ」とカゲミは俺に背を向ける。「な、な、なんてこと」「苦しーんだよ。寝るときゃはずすもんなんだ。男にはわかんねーだろーけどはあ」

半分寝ぼけた口調が似合わなくておかしい。俺はブラウスの上からホックをはずしてやる。どぎまぎして手間取ってしまう。

カゲミは規則的な寝息をたて始めた。

俺はエリカさんを絶対裏切らない。でもさあ、こんなとこカゲミと入ってるだけでもう充分裏切ってんじゃねーのかな。サイテーだな。カゲミとは一切関わらないのがいいってわかってるんだ。でも、このコワレモノをほっとくことができないんです。ああ。初めてこのバカと屋上で出会ったときは、なーんにも感じなかったはずなのに。

俺は鉄骨むき出しの天井を眺める。ケーブルやダクトがツタのように這い回っている。鉄骨に吹き付けてあるのはアスベストだろうか。俺はカゲミに出会ったときにアスベストのような何かを吸い込み、ゆっくりとゆっくりと蝕まれているんじゃないだろうか。

俺がこうしてぼーっと天井を眺めてる間にいくつの彗星が流れ去り、いくつの新星が誕生しているんだろう。時は緩慢な死に向かって忍び足で進む。



「無鉄砲なコドモの行動に困惑する温和なリーダーってとこだね」。1時間きっかりで目を覚ましたカゲミは俺の横顔を見て笑う。「女が横で寝ててもホントに何もしないな。知ってたけどさ」

「もしかしたらヒャクデンパタさんは俺を困らせて反応が見たいのかな」「今頃わかったのか」「てめー」

俺はカゲミのアタマをつかんで揺さぶる。「あたしさ、ひとに甘えるのって生まれて初めてなんだよ。甘えても嫌われないってのはさ、あたしには奇跡みたいなもんなんだ」

切ないこと言うなよ。

「ヒカワくんはアルファだよ。自分じゃ気付いてないだろーけど。群れのみんながヒカワくんを見てる。みんながヒカワくんをオモチャにしてるように見えても、実はみんなヒカワくんに頼ってる」「なに言ってるんだかさっぱりわかんねー」

カゲミは服を整え帰り支度を始める。「ホック」「てめーでやれ」「お願い」

はぁ。結局は俺がやりました。外すときよりさらに手間取ってしまいました。なんだか情けない気持ちでいっぱいだ。

「あたし実はセックス好きじゃないんだ。一生しなくても問題ない。でも、してもいいよ。いつか。チャンスがあったら」

「ノーコメントだ。もうその手には乗らねえ」「戸惑った顔してくれよ。好きなんだよ、リーダーが固まるときの顔が、さ」「とんでもねえ野郎だ、このコムスメが」

「あたしがキムスメだってなんでわかるの。わかるもんなのか。すげーな。ま、それはともかく。そーだな、今日は甘えすぎた。明日からは忠実な手下に戻るよ、リーダー。シモベとして使ってくれ」「おことわりだ。こんな問題分子、誰がそばに置くか」「あはは、苦労が絶えないな、リーダーって立場は」

ワリカンで料金を払いエレベーターに乗る。「リーダーのキス、してくれないかな」。俺はカゲミの額にキスする。これを最後にしよう。もうしないぞ。多分。

駅に向かうカゲミとビルの出口で別れる。またしても信念が根こそぎ崩れてしまった。でも得るところもあった。

ブラのはずしかたは練習しとかなきゃいけないな。あくまで一般教養として、だけど。


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