止まる時間 作:まりえしーる 発表日: 2005/07/25 16:00


さすがに夏の昼間は屋上に長時間いられるもんじゃない。タコス食べながら泣いていたカゲミがようやく落ちついたんで、俺たちは階段を降りて教室に戻ることにした。

「よーヒカワ。いいとこで会った。ちょっと買出しに行ってきてくれ」

化学のノジマ先生だ。「はぁ?センセー、今授業中ですよ」「お前どーせさぼってんだろ。次の授業までに帰ってくればいーじゃねーか。100円ショップ行って名刺サイズのカードケースを30コ買ってきてくれ。午後の実験で使うってのに用意しといたケースが液漏れすることがわかって焦ってんだ」と言いながらセンセーはパンツのポケットに手を突っ込み、くしゃくしゃの5千円札を取り出す。

「これで頼む。ツリは、あ、そっちのキミは転入生だったね。よし、おめーらふたりで行け。ツリでアマイモノヤサンにでも入れ。トコロテンぐらいは食えるだろ。いいか、午後の授業までには届けろよ。じゃっよろしく」「はぁ?と、ところてん?」

いろんな意味でヘンな教師だ。また今日もコメントに苦しむような妙な実験をやる気なんだろう。以前ノジマ先生にガラス管でスプーンを作らされたときは、みんな困った。このスプーンをどこに捨てればいいのか。その後予告された感電実験はクラス全員の総意で取り下げていただいた。とても信用できねえって。

「センセー、今日はなにやらかすつもりですか」「やらかすって失礼だな。キミたちがバケガクのトリコになっちゃう心躍る実験を見せてあげようってのに。今日はダニエル電池を作ってヘリのモーターをまわすぞ。自作の電池で教室の中をヘリが飛行する。どうだ、ワクワクするだろ?」。そんなハイパワーな電池が作れるとはとても思えない。

「しゃーねえ、行くか」とカゲミに言って歩き出そうとすると、ノジマ先生が振り返り、「そーだ、大事なポイントだ。トコロテンは箸一本で食べるんだぞ。忘れるな。たとえ店が2本出してきても一本箸でいけ」「はぁ?」「カードケースは液漏れしなさそうなしっかりしたヤツ頼むぞ。溶液漏らすと女子から嫌われちゃうからさ」。どっちが優先事項なんだ。カードケースのことは忘れてトコロテンだけ食ってきちまいそうだ。

俺たちはガッコの外に出た。フツーの高校生以上にフツーのことをきちんとやる、と決意している俺なのに、やってることはグチャグチャだ。

「ヒカワくんといると、まっとうなガッコ生活は望めなさそーだな。屋上ロックアウトやら授業エスケープやら」「お前ひとりでもそうなってたことばっかじゃねーか、ブレイモノめ。俺は教師のオボエもめでたいユートーセーだぜ。今も授業免除で大役をおおせつかってる」「どーでもいー生徒ってだけだろ」「そーかも」

店に入って最初に見つけたカードケースを30枚買う。液漏れするかどうかなんて見た目でわかるわけがない。

「いーかげんに選ぶんだな」「俺、運強いからさ。一発でアタリ引く星の下に生まれてきてんだ」「はぁ、なんかホントにそんな気がする。ヒカワくんにはツキの無い人間の苦労や努力を嘲笑って生きてるニオイがする」「マジかよ」「ウソだよ、ビンボー人め」「ビンボーをばかにしたな」「あたしもビンボーだからバカにする資格があるんだ」「俺らの群れって、ビンボー人の群れなのか」「現状はそーだな」

店を出た俺たちの目に〇〇茶房という看板が入ってくる。「トコロテン、だってよ」「ああ」「タコス食いすぎた。食い物の話題はぞっとしねえな」「ぞっとする」「ヒャクデンパタさんって甘いもの好きなのかな」「好きなわけないだろ」「やっぱそーか」「やっぱ、ってなに」「意味はねーけどよ。トコロテンって甘いんだっけ」「モズク酢みたいなもんじゃないか」「モズクって海のモズクか」「海のモクズって言いたいのか」

「おりゃあさあ、いつか海のモクズになって死ぬような気がする」「ふーん。あたしは多分くっだらないワナにはまって退屈なヤツに殺されてみすぼらしい死体になる気がしてる。ヒカワくんも死ぬこと考えてるんだ」「よく考える。つーかしょっちゅう死ぬことを考えてる」「死にたいのか」「すっげー死にたいような気もする。死にたくないって気持ちと同じくらい強く死にたいって思うときがある」「死にかけると違う気が起きるかも」「一回死にかけた」「ほんと?で、どう思った?」「死んでもいいやって思った」「あきらめるの早いのか。死んだら婚約者が泣くぞ」「そーだな。当分死ぬわけにはいかねーな。やんなきゃいけないことがあるんだった」「充実してんだな。あたしは生まれたから生きてるだけだ。それだけだ。人生に意味とか価値とか使命とか求めるやつはバカだ、と思ってる」

テキトーでいい加減な会話だけど、カゲミがどれだけ強く人生に意味を求めているのかが、俺には伝わってくる。でもそんな感想は言わないでおこう。

「コヨーテだな」「うん。寒さや空腹に耐えながら淡々と暮らすんだ」「このクソ暑いなか満腹で歩いてるときに聞くとリアルのかけらもねーな」「ありがたいハナシなのに、このシチュエーションで話しちゃもったいなかったな。ちきしょー、二度と話さねーぞ。あ、ここに寄りたい」

カゲミはある雑居ビルを指差して立ち止まる。なにがあんだろ。カゲミはエレベーターに乗り俺も後に続く。エレベーターの中は驚くほどエアコンで冷えている。カゲミは最上階のボタンを押す。ドアが閉まると、カゲミは俺に抱きついてくる。

「ごめん。上がって、また一階にもどる間だけこうしてて」

事情はわからないが、カゲミの傷の深さが見えるような気がする。自分にできる最大限のことをしてやろう。俺はカゲミを抱きしめる。エレベーターには誰かが乗ってきそうな気配がまるで無い。転校して間もないのに、しかも他の街から電車通学してるのに、ひとけの無いビルをよく知ってるもんだ。

最上階に着く。俺は1階のボタンを押す。一階に着く。俺は最上階のボタンを押す。

俺は機械的にそんな動作を何度も繰り返す。カゲミは動かない。呼吸してるんだろうか。

その時、静止していた俺たちの世界は激しく揺さぶられ、エレベーターは9階と10階の間で停止した。

俺たちの街を震度5の地震が襲ったと知ったのはエレベーターが停止してから40分経過した頃、緊急ボタンにようやく応答があったときだった。


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