報復 作:まりえしーる 発表日: 2005/07/16 09:00


カゲミは約一ヶ月ぶりに例のアパートがある街を訪れている。あの日事務所をたたみ、このひとつきの間新たな拠点を北に築いていたのだ。ようやく手が空いたカゲミはやり残したことを片付けるためにここに来た。車の中から例のアパートを眺めている。太った男がその部屋に入っていくのを見て、カゲミはシートから身を起こす。

その部屋の中にいるマリエは頭がはっきりしない。この一ヶ月近く、ずっとクスリ漬けで監禁されていたのだ。食事は与えられているが、筋力はかなり衰えてしまっているのを感じる。手足の拘束が解かれるのは、あの男がマリエの肉体を求めるとき、しかも強いクスリをマリエに打った後の1時間ほどの間だけだ。

帰宅した男は紙袋をさげている。その中からキャンペーンガール風の光沢のある衣装を取り出し、男はマリエに微笑みかける。「これは絶対似合いますよ」。今マリエはメイドの衣装を着せられている。今夜のメニューはそれか。マリエには特に感慨は無い。すでにどうでもよくなっていた。

そのとき玄関チャイムが連打される。男は無視する。すると次は玄関を強くノックする音とともに「マツキさん、マツキさん、下の者ですけどね、オタクの洗濯物が落ちてましたよ」と神経質そうな女の怒鳴り声が。

「うちのじゃありません」。男は怒鳴り返す。「そーですか。じゃあ警察に届けますよ、この女物の下着」

男は顔色を変え、玄関に向かう。警察という言葉が神経に触るのはマリエもいっしょだ。ここから解放されるにしても、警察との接触だけはごめんだ。

男はドアチェーンを付けたまま玄関を開く。髪がぐしゃぐしゃの若い女が見える。カゲミだ。

男は不機嫌そうな顔で無言で手を出す。女がキレる。「ひとに落し物届けてもらっといてそんな態度かい、あんたは」

男は根が小心者らしく、あわててドアを閉めチェーンを外し、再度開く。「すいませんすいません、ありがとうございました」。早く嵐が過ぎ去ってくれればいい、という思いが声にあらわれている。態度がカンタンに一変してしまう自分への怒りで男の顔は紅潮する。

マリエは鈍い音を3つ聞いた。玄関から髪がぐしゃぐしゃの女・カゲミが、右手でうずくまった男のエリ首をつかんでひきずり、左手にポリタンクを持って中に入ってくる。

「あ、サイトーさんだ。なつかしいな」。カゲミはそう言いながら足元の男の肋骨をブーツの爪先で蹴り続けている。

「あなた、誰」。初対面の女にサイトーさんと呼ばれたマリエはそう尋ねる。「誰だっけ。忘れた」と答えながら、男が肋骨を両腕でかばうのを見たカゲミは男の鼻を蹴る。男は頭を抱えヒザをを折り、丸くなって顔と腹部を守ろうとする。カゲミは男の尻の側に立ち位置を変え、睾丸を蹴り潰す。

カゲミはポケットから細い金具を取り出しマリエの手錠と足かせを開錠する。「すごい服だね。似合ってないし」。マリエは恥と屈辱を感じる。長いこと忘れていた感情だ。

カゲミはポリタンクの中身を、まず倒れている男に浴びせる。次に部屋中に撒き散らす。マリエにも少しかかるが、カゲミはまったく気にしていない。灯油のニオイが部屋にたちこめる。

カゲミはポケットからナイフを取り出してマリエに話しかける。「ねえ、この男、あたしが刺してもいい?今すぐ刺したいんだ。でも、あんたにも刺す権利があるような気がする。あんた、刺す?」

マリエは反応できない。「オッケー、パスするんだね。復讐のチャンスは一度きりだ。死ぬまで屈辱にまみれて生きな、サイトーさん」。カゲミは男の肋骨の間にナイフを滑り込ませようとする。

「待って」。マリエが言う。

カゲミは初めて笑顔を見せる。「使いな」。カゲミが投げたナイフはマリエの足元の床に突き立った。

マリエはナイフを持ち、よろける足で男に肉迫する。

カゲミはタンスの中を物色しはじめる。マリエの行動には何の関心も示さない。「お、あったあった。あの日あんたが着てた服だ」

「ぐあっ」。男の声がする。

「返り血浴びてら。へたっぴだね」。普段よりはるかに饒舌になってる自分にカゲミは少しとまどっている。なんであたしはこんなにはしゃいでいるんだろう。なんでサイトーさんをかまいたがってるんだろう。なんでこんな小物に男の心臓を刺す権利を譲ってやったりしたんだろう。あたしの獲物なのに。

「サイトーさん、手、洗って。それからこの服に着替えな。そのカッコで逃げるのはソートーまずい」

マリエはそれに従うが、まだ足元が不確かだ。「のろまだな、あんた。早く動け。焼け死ぬぞ」。カゲミはライターで男に火をつける。さすがにマリエはあわてて服を着る。

カゲミは男からナイフを抜き取りマリエが脱いだメイド服で血を拭く。「行くよ」

ふたりはアパートを後にした。

夜が明け始める。高速を走りながらカゲミはしゃべり続ける。「あんたのやらかした事件を知ってからずっと、あんたを刺したくてしょーがなかった。あんたを刺すのを楽しみにしてた。でも運良くあんたを見つけ出してみたら、その気が失せた。刺すチャンスは何度もあったのに。あたしはたぶん、刺したいわけじゃなかったんだ。さっきわかった。あんたに興味があっただけなんだ、あたしは。あんたと話してみたかったんだ、きっと」

マリエはじっと前を見ている。このぐしゃぐしゃ頭の女の話す事は、まったく理解できない。

カゲミはある駅の近くで車を止める。ポケットから輪ゴムで丸めた一万円札の束を取り出しマリエに投げる。

「とりあえずはそれで逃げな。あたしたちはもう会うことは無い。近いうちに、あたしたちのどちらかが、もしくはふたりともが、死ぬ。そんな気がする」

マリエには話すコトバがない。「早く降りろ。さよなら、サイトーさん」とカゲミがせかす。

「キスして」。そうマリエが言う。「はぁ?」「キスして」

カゲミは戸惑いながらマリエの肩を抱き寄せる。あたしは何がしたくてこの女を捜してたんだっけ。

ふたりの唇が重なる。そのとき首筋に鋭い痛みを感じたカゲミは、相手に気を許した自分を後悔する。

「クスリか。あの部屋から持ってきてたのか」

カゲミがナイフを取り出す前にマリエは車から降り、注射器を路上に捨て粉々になるまで踏みつける。ドライバーシート側にまわり、カゲミが動かなくなるまで待つ。そしてドアをあけ、カゲミをひきずりおろす。無抵抗のカゲミのミゾオチや顔を蹴りまくる。カゲミの落としたナイフを取り、返り血を浴びない角度を考えながら心臓に突き立てる。

血まみれのナイフを車内に放り投げ、マリエは車を走らせる。この車、消火器を車内に噴射しまくってから乗り捨てれば指紋を拭き取る手間が省けていいな。少しは楽をしたい。もう疲れた。お願いです、楽をさせてください。

マリエの旅も終わりが近づいていた。


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