再就職したコナツは今、乗換駅で列車の到着を待っている。今日は新人コナツのための歓迎会がある。ちょっとスペシャルな日。配属された部署に気になる男性がいるのだ。同じアパートに住む男子高校生に無理やり選ばせた下着を付けて出勤することにした。コナツは自分の手を眺める。昨日の夜、深爪を隠すために苦労して接着したネイルチップが輝く。OLっぽくなったかな。
恋人のフジノには後ろめたい。でも、あたしはやっぱり男のひとが気になる。女同士で遊園地に行くのって、なんか違う。あたしが欲しいものと、どっか違うんだ。あの男の子と下着を買いに行った時すごく楽しかった。こんなのっていいなと思ってしまった。男にそばにいてほしい。フジノ、ごめん。あのときは救われた。でもなんでああなったのかよくわからないんだ。ふらふらと、まるで催眠術にでもかかったみたいに目の前のフジノに夢中になっちゃった。
今日も駅は混雑している。渋滞は毎日だ。さえない夏の空、少しだけ青い海、灰色の高層マンション。フジノがカラオケでそんなのを歌ってたなあ。フジノもやっぱり今の生活に満足してないのかな。そのとき改札方向から悲鳴と怒号が聞こえてくる。見ると人の海がふたつに割れていく。その中を、なんということか、拳銃を持った若いサラリーマンがこちらに走ってくる。
またか。またなの。なぜ。
コナツはホームの端に身を寄せようと思う。二度とあんなことに巻き込まれるのはいやだ。もういやだ。あんな思いをするのはもう絶対にいやだ。
でも。
これはやり直すチャンスなのかもしれない。こんなことは絶対二度とない。ここで逃げたら一生この傷を抱えたまま忘れたふりをして生きていくことになるのかもしれない。
コナツは走ってきた男につかみかかり足払いをかける。操縦者を失った自身のスピードによって男は宙を舞う。今度は絶対にこのエリを離さない。コナツはそう決意していたが、長い付け爪が彼女の意志を邪魔する。男の上着に食い込んだ付け爪のうち4本がはずれ、コナツはグリップを失う。どうしてこうなるの。
ホームの床に叩きつけらた男はそのまま滑って行く。ホームに列車が入ってくる。コナツはヒールが折れるのを感じながら床を蹴って男を追う。男の下半身がホームの端からはみ出したとき、コナツは男の右腕をキャッチする。
柔道の稽古の中で、相手を引っぱりこむためのトレーニングを何度やっただろう。どれだけのバリエーションを自分は知っているだろう。お願いです。役に立ってください。あたしに力をください。コナツは必死で男の腕を引いた。
男はホームの上で仰向けに横たわり荒い呼吸をしている。コナツは男の腕をつかんだままうずくまっている。やはり呼吸は荒い。
「はぁ、どうして、はぁ、こんなことを、はぁ、するのよ」。コナツが男に言う。「答えなさいよ、どうしてこんなことするのよ。どうしてあたしにこんなことをさせるのよ。どうして。どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして」
コナツは大粒の涙を流しながら叫び続ける。「どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして」
「ごめんなさい」。
天井だけを見ている男がそう言う。コナツは男の胸に覆いかぶさって大声を上げて泣く。男を揺さぶりながら激しく泣く。
「どうして」「ごめんなさい」「どうして」「ごめんなさい」「どうして」。男の目からも涙が流れる。
「どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
警官とレスキュー隊員たちがふたりのもとに集まってくる。駅内アナウンスが振り替え輸送の説明を大音量で繰り返している。コナツはこのエリを絶対に離さないと誓った。