雲の行方 作:まりえしーる 発表日: 2005/06/27(Mon)


アズサさんの奇妙な予言のよーなセリフのおかげであれこれ思い悩んでしまい珍しく俺は眠れなかったんだ。エリカさんが俺と結婚?なんだそりゃ。浮気しちゃヤダと言いながら自分以外の女と俺が結婚するなんてことを。わけわからん。

そもそも俺とエリカさんがうまくいくはずがない。お互い学生の時は、まあいいだろう。だがエリカさんが俺より先に社会に出る。就職先でオトナの男たちの、ひっろーい世界を知る。タクシー代すら払えない自分の彼氏がみすぼらしく見えてくる。セルシオとかジャグワとかでフレンチ・レストランから家まで送られて、じゃあまた明日会社で、愛してるよハニー、おっと渡すの忘れるところだったよ、あらなにかしら、まあこんなに大きなダイヤ見たことないわ、さあ左手を出してごらん、え、これってもしかして、そう、死ぬまでボクと朝食をともにしてくれないか、まあ、ぽっ。

バッカじゃねーの、てめーら。一生やってろ。俺はそんなのごめんだ。くそっ。まあそんな感じで俺は過去のひとになってフェードアウトしてくわけよ、しょせんは。

ああ、ヒガミ根性炸裂しちゃってるよ。俺ってもしかして劣等感のカタマリの卑屈な野郎なんだろうか。幸せになりたい。でも幸せってなに。暮らしってなに。俺の生活基盤なんて親からの仕送りがすべてだよ。俺は何の芸もない高校生だよ。まともな神経の女性が俺みたいな男に関心抱くなんてありえねーよ。

じゃあ、なんでアズサさんは俺なんかと一緒に暮らしているんだろう。

深く追求すると大切なものすべてが消滅してしまうような気がして俺は考えるのをやめた。エポケー、思考停止。考えるのを放棄した人間がすることは、ただひとつ。信じることだ。俺は、根拠は無いけど、たぶん、りっぱにやっていけるよーになる。そう信じよう。早くオトナになりたい。たとえばサエコさんの話を実感を伴って理解できるような。他人から施しを受けずに食べていけるような。

今は放課後で、俺はいつものコンビニ前のベンチでぼーっとしている。トゥード・アズールの練習があるんだが気が重い。エリカさんと顔をあわせにくい。エリカさんの部屋であんなことがあったし。会ったらお互い意識しないわけにはいかないじゃないか。エリカさんがあの夜のことを、どこまで覚えているかわかんないけど。前みたいな無邪気な姉弟のようなつきあいは、もうできないのかもしれない。トゥード・アズールは3日後にイベント出演が決まっていて、しかも俺と同じスルド担当のドレッドのひとはその日参加できない。今俺が抜けるわけにはいかないんだ。練習に出なくちゃ。でも。でもさあ。エリカさんに会うのがこわい。会いたくてこわい。

俺は両ヒザにヒジを突きアタマをかかえた。足元をアリの群れが行進している。

キミたちは凄いね。指揮系統もはっきりしてないのにチームとして機能している。まるで群れ全体で一個の生命体みたいだ。俺にはなにもない。俺には帰属すべきものがない。俺はこの世界で最後まで自分の居場所が見つけられずに終わるような気がしてくる。なに弱気になってるんだ、帰ればアズサさんがいるじゃないか。でも、なんでこんなに俺はからっぽなんだろう。俺は何をなくしてしまったんだろう。わかってる。ホントは自分でわかってる。てゆーか、今はっきりわかった。

そのとき突然、背中に柔らかいものがのしかかってきて背骨が折れそうになる。「こら少年。遅刻のいいわけでも考えてんの?まだ間に合う時間だってのに」「うあ、エリカさん」。エリカさんは後ろから俺の首をスリーパーホールドで絞める。「ほら、ぼーっとしてないでレンシューに行くぞ」「エリカさん、背中に当たってます。まずいって」「減るもんじゃないから気にしなくていーよ。さ、出発出発ぅ」

エリカさんは俺の腕をつかんで立ち上がらせる。夏の太陽がエリカさんの短い前髪を黄金色に染める。俺の大好きなカタチのいい額が汗で輝いてる。走ったのかな。走って俺を探してくれたのかな。まさかね。「行こう、ヒカワくん」。すごくいい笑顔だ。まぶしいや。見上げた空にはぽつんと夏の雲が浮かんでいる。あの雲の下には仲間たちが待ってる。一羽の鳥がその雲目指して飛んでいく。未来が見えず翼も持てない俺たちは、ヘッドロックを掛け合いながら階段教室に走った。


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