エリカ 作:まりえしーる 発表日: 2005/06/22(Wed) 09:10


「じゃあ少年、エリカのこと頼むわ」。イベント出演後の居酒屋での打ち上げが終わり、ドレッドのひとが俺の背中を叩いてそう言った。今夜もエリカさんは座敷で酔いつぶれている。パンツがローライズだからお尻ちょっと見えてるし。やれやれ。ついこないだまでは未成年だから酒を飲めない俺と、下戸のドレッドのひとのシラファーふたりでエリカさんを搬送してたんだが、最近ドレッドのひとはタンボリン担当のエメさんとラブラブになってしまい、エリカさん介護係から抜けた。幸せそうだ。俺はなんか寂しい。介護係の補充なんて無い。常日頃からエリカさんが俺をそばに置いておきたがるせいもあって、エリカさんの世話は俺の役目だとみんなが思っている。他のメンバーが俺のことを陰で「猛獣使い」と呼んでることも知ってる。エリカさんはチームの顔なのに酒癖が悪いから猛獣扱いだ。こんな美人が酔って前後不覚になってても誰も手を出そうとしない。それも妙な現象だ。俺がエリカさんの弟だと本気で思ってるヤツがいるのかも。家族がいつでもそばにいる女の子には彼氏ができにくいって聞いたことがある。

「いつもわりーな」。ドレッドのひとはエメさんと肩を寄せて去っていく。いいなあ。くそっ。女ができると男同士のつきあいが悪くなるのは万国共通の現象か。タイのバンコクでもきっとありふれたフツーのことなんだろーな。

「エリカさん、もう帰るよ」。俺はエリカさんを引き起こす。「んにゃだたちもっと飲もうよ〜」「みんなもう帰っちゃったって」。どうして毎回こんな自暴自棄な酔い方をするんだろう。なんとか居酒屋を出た。エリカさんは酔うと必ずハダシになる。俺は右肩でエリカさんを支え、左手にサンダルを持って歩く。

「あれ、ヒカワくんだ。アキヒロくんは?」。エリカさんが喋り出す。アキヒロくんっていうのはドレッドのひとの名前だ。「エメさんとどっか消えましたよ。俺ひとりですよ、ここんとこずぅーっと」「あのヤロー、またも同期を見捨てたなあ」。俺も見捨てたい。「聞いてよ少年、あたしは寂しいよ」「はいはい」「みんなあたしから離れていっちゃう」「はいはい」「全然聞いてないな」「ばればれでしたか」

キミは年下なのにかわいくないよ、と言ってエリカさんは俺の首に両腕をまわす。「ヒカワくん、キスしてみよっか」「ヤです」「なんで」「酒くさいから」。ホントにかわいくない、と言ってエリカさんは腕をほどいた。

人通りの無い道をだらだらふたりで歩く。タクシーは今日も見当たらない。

「なんでいつもそんな飲み方するんですか。もったいない」「もったいないって何が」「せっかくの美人が。魅惑のプロポーションが。誰からも愛されるシラフのときの性格が」「酔ってるときに口説かないでよ、ヒキョー者」「バカか、てめーは」「なんだと?」「あ、すんません」

エリカさんのマンションに着いた。実家は近くにあるって話なのに家賃の高そうなところに住んでるんだから、お金持ちの家のお嬢様なんだろうか。確かにエリカさんの屈託の無さは育ちのよさを感じさせる。酒さえ飲まなければ。ねえ。俺はオートロックの暗証番号まで覚えてしまっている。ここの住人たちは俺をどんな目で見てるんだろう。エレベーターの監視カメラにも俺は何回も映ってるんだろうな。

エリカさんの部屋の前で、俺はいつもの通りエリカさんのジーンズのポケットに手を入れてカギを取り出す。初めて「カギ出して」と言われて手を突っ込まされたときはドギマギした。が、今じゃもう慣れちゃった。エリカさんは「ああっ」とか悶えて見せる。悪趣味なジョークだ。やめろ、バカ。二度とやらないで、そんなことは。安っぽいよ。安売りしないでくれよ。俺は自分が涙を流してることに気付いてびっくりする。3秒程泣いた。なにやってんだ俺、しっかりしろ。玄関にエリカさんを座らせ、ひとりで中に入り洗面所で専用タオルを濡らして絞る。ハダシで歩いてきたエリカさんの足をふいてやらなきゃいけないんだ。ここまで甘えさせていーもんだろーか、と毎回思う。

エリカさんをリビングのソファに横たえ、キッチンの浄水器で水を入れたグラスをテーブルに置く。これでほぼ終了だ。長い。長い夜だ。もう帰りたい。

「じゃあ俺はこれで」「待って、ヒワカくん、ベッドまで連れてって。今日はもうこのまま寝る」

寝室まで入るのは初めてだ。手短にすませたいのでお姫様ダッコでエリカさんを運ぶ。スリムだけど174センチあるカラダはけっこう重い。丁寧にベッドに降ろす。「オジョーサマ、到着しました。拙はこれにて」「待って。お願い。脱がせて。服だけでいいから脱がせて。苦しいの」

もうヤケクソだ。どーにでもなれ。ノースリーブのブラウスのボタンをはずす。やられた。俺が日頃から気になってしょうがない例の水色のブラが現れて、俺は呼吸が荒くなりそうになる。見ないフリをしてジーンズのボタンを外し、ジッパーを下ろす。さらにやられた。上下ペアですか。すげーきれいだ。なんてまぶしいんだろう。苦労して片足ずつタイトなジーンズを抜き取る。「ね、ちょっと後ろ向いてて」。「はぁ?」と言いつつ、俺はエリカさんに背を向けた。「いいわよ、見て」。俺は振り返った。「え…」。俺は落雷に撃たれた。ベッドから起き上がったエリカさんはアタマに巻いてたブラジル国旗を外していた。初めて会ったときと同じくらい短い前髪が、そこにあった。

「来て」。俺は逆らえない。エリカさんは俺にもたれかかり、俺の胸に顔をうずめてから、顔を上げ、目を閉じ、そして、吐いた。

パニックだ。俺は大急ぎでシャツを洗いタオルでカラダを拭いた。俺が窓を全開にして寝室の掃除をしてるってのに、エリカさんは熟睡していた。酔っぱらいの世話するのはもうごめんだ。二度とここには来るもんか、と俺は誓った。

ようやくマンションの外に出るとサックス・ブルーの満月が俺を迎えてくれる。俺がトゥード・アズールに入る前は、打ち上げの後どうしてたんだろう。ドレッドのひとが一人でエリカさんを介護してたのかな。多分そうだ。え、まてよ。もしかしたら。

ドレッドのひとはエリカさんの介護役から逃げたかったのか。自分の代役として俺をチームに誘ったんだ。なんだ、そうだったんだ。あはは。はめられたんだ。やられた。でも俺、一人っ子だったからさ、あんなだらしない姉貴がいる生活もちょっと楽しかったりして。

濡れたシャツを着た俺は走って帰った。満月が笑っていた。


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