ナッシング・スペシャル2 作:まりえしーる 発表日: 2005/06/21(Tue)


ガッコの帰り道、俺の前を歩いているOL風の女性が突然前のめりに転倒した。ぐしゃ。スカートの中にはパンツとパンストを履いてたが、スカートの外に伸びた2本の足のうち右足は靴を履いてない。路面を見るとハイヒールがマンホールのフタの窪みに刺さっている。この女、ヒール初心者か。ハイヒール履いた日はマンホールは避けろよ。起き上がった女性の顔を見て、俺は初めてそのOLさんが同じアパートの102号室に越してきたひとだと気付いた。スーツなんか着てるから普段とイメージ違う。目が合ったんで素通りするのはやめた。ストッキング履いた足の爪先ってなんか宇宙人の足みたいだな、などと思いつつ俺は腕力でハイヒールを引っ張り上げた。ぼこっと音がして、クツとヒールは分離した。俺の手には靴、マンホールにはヒールが直立。

あちゃあ。

俺とOLさんはスーパーの地下にある靴修理店「ミスター分殺」のストールにすわってハイヒールが直るのを待っている。ハイヒールを破壊してしまった俺は責任を感じOLさんをお姫様ダッコしてここまで来たんだ。「え、そんなの恥ずかしい」とOLさんは抵抗したが、俺だって恥ずかしい。けど、手っ取り早いじゃないか。俺は宅配便のひとのように事務的に走った。みなさん、これはフツーのことです、気にしないでね、と無言で世間にアピールしながら。やっぱひとのために何かするなんて俺がやることじゃねーな。

「すんません、靴壊しちゃって」「いいのよ、助けてくれたんだから。それより手間かけさせちゃって、こっちこそごめんなさいね。あたし、同じアパートのヨシカワです」。むこうも俺を誰だか認識していたようだ。「あ、先日はご主人にいいものいただきまして」と俺はお礼を言う。102号室の男のひとが引越しの挨拶に来て日本茶をくれたんだ。飲むための道具が無いからそのまま捨てちゃったけど。「あれは兄です」「え」「あたしは妹のコナツっていうの。よろしくね」「あ、俺、ヒカワです」

「ヒカワくんっていうんだ。郵便受けにも玄関にも名前が出てないからわからなかったわ」。名前出しとくと、いろいろめんどくさいじゃん。訪問販売とか勧誘とか。そんなこと説明する気は無いけど。

「ヨシカワさんは101号室のひとと仲いーですね」。何故かコナツさんは真っ赤になって黙る。他に話題が無いし、いっしょにいるところを何度か見かけたから言ってみただけなのに。なんでだろ。女ってホントめんどくさい。

「…ところでヒカワくんは、なんでいつも肩車をしているの?」。自分の生活をひとから見られてるなんて考えたこともなかった俺は真っ赤になって黙る。めんどくさい男になってしまった。

「修理代、俺に払わせてください」。俺は本題を切り出した。このためだけに座って待ってるんだ。予想通り「そんなことできないわ。助けてもらったのはこっちなんだから」という答え。でもね、それじゃ俺は申し訳ないんですよ。

「ヒカワくんは高校生、あたしは働いてる。今日が初日だけど。ともかくキミからお金をもらうなんてできません」「でも」「じゃあ、別のカタチでいただくってのはどう?」「はぁ?」「ちょっとキミの時間をちょうだい。そうするとあたしは凄く助かるの」「はあ」

「下着を選んでほしいの」「え。な、なんで男の俺に」「男のひとの好みが知りたいの。あたし、ずっとスポーツやってたからおしゃれのことわからないんだ」「女性のおしゃれなんて俺のほうがよっぽどわからない。雑誌とか見て好きなの選べば」「ファッション雑誌には男性がどんなのがスキなんて書いてないよ」「うそ。じゃあ友達に聞くとか。あ、101号室のひとに相談するとか」「フジノに男の話なんて絶対できない」「はぁ?」「あ、いや、そういう話はしないの、フジノとは」「フジノさんっていうんだ、あのひと」「うん、ミズキフジノ。和風でステキな名前よね」「あのー、男の好みはバラバラの10人10萌えで、俺なんかの意見より、えーと、下着を見せたい相手、ってゆーか、その男のひとの意見を聞いたほうがいいんじゃないか、と」「それができたらキミになんか頼むはずないでしょ」

かなり困ったひとらしいぞ、このひとは。ここはおとなしく従って借りを返してイーブンの関係っていうか、無関係な隣人のつきあいにさっさと戻したほうが賢明かも。

靴の修理が終わり、コナツさんは料金を支払っている。婦人下着ショップに、話すのも初めてのコナツさんと同伴訪問するのですか。俺って巻き込まれ型の男なのかな、と思う。でもなんだか心躍るような気がちょっとするのは何故。俺たちはデパートの下着売り場に向かった。

「あたしね、キミが肩車してるひとに助けられたんだ」「え」「いつかちゃんとお礼しなきゃいけないんだけど。声掛けにくくて」。コナツさんはそれ以上は語りたくなさそうだった。

アズサさんが女性を助ける。考えにくい。ひどく考えにくい。でも、気まぐれだからなあ。アズサさんのことを考えながら下着売り場に入った。しかし、俺がその場所で一番考えてはいけないのが、アズサさんのことだった。そこに広がるのはブラジャーの海、ブラジャーのポスター、ブラジャーのビデオ。アズサさん、ブラジャー、アズサさんのおっぱい。あの感触が脳に指に甦る。ああ、なんてこった。自分には性欲なんてありません、というポーズを地球上で一番強く要求されるエリアで、俺はこんな状態に。俺は制服の前ボタンをしっかりしめ、手をポケットに突っ込んで炎が鎮火することを願った。こんな女だらけの場所で。俺って最低かも。

「これはどう?」「はぁ」「こっちのがかわいい?」「はぁ」。俺は上の空である。「どれもウケが悪そうね。じゃあヒカワくんがいい!と思うのはどれ?」。早く店を出たい。「そーっすねー」。どれでもいいじゃん。「これ」「あーキレイな水色。これいい。男のひとってこーゆーのがいいんだ。えーっと90のG、あった。これ試着してくる」「試着ぅ?下着の試着?」「当たり前でしょ」。そーなんだ。「じゃ俺はこれで」「付けたところ見てくれないの?」「はぁ?」。バカか、この女は。もう十分だろ。「見せると減りますよ。それじゃ」

俺は女だらけの売り場をぎこちなく脱出しながら、自分が選んだのが、サンバチームのエリカさんが時々してくる、妙に気になる水色のブラにそっくりだって気付いた。テキトーに指差しただけなのに。無意識っておっかねーな。でも店で見たエリカさんのブラはただの布の加工品だった。ブラ単体には何の魔力もないや。コナツさんがあのブラして、なんか意味あるのかな。少なくとも俺には無さそうだ。あのブラはエリカさんがしてるからまぶしく見えたんだ。俺の中の暴風雨はすでに通過していた。


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