ナッシング・スペシャル 作:まりえしーる 発表日: 2005/06/20(Mon) 10:56


「つけてるのを忘れるような」ブラのはずなのに、午後になるとワイヤーがアバラに当たって痛くなる。試着してもわからない盲点だ。この講義が終わったら新しいブラを買いに行こう、とエリカは考えた。今日はサンバの練習も無いし。

ブランドかえてみようかな。色は今のと同じサックス・ブルーでレースのやつがいい。エリカは所属するサンバチームに自分が引きずり込んだ少年のことを思い出す。いつでも誰にでも無愛想で、とりわけ女には冷淡なあの少年が、このブラには反応を示すのは面白い。サックス・ブルーのブラをつけてる日は、少年があたしの胸を見る回数が幾何級数的に増加する。濃い色のブラウス着てても気付くんだから、よく見てるよなあと思う。男の子って面白い。あたしは少年をかまいたくてしょうがない。でも普段のあの少年は、女に慣れてるのか無関心なのか、女に触られるのに慣れてるってゆうか。カラダを押し付けてもちっとも反応しないから、あたしはついついエスカレートしてしまう。このブラしてるときに少年にヘッドロックをかけて、わざと胸を横顔に押し付けてやった時の狼狽ぶりには笑った。いつでもクールなあの少年が、な、なにするんですかあ、だって。あはは、普段すかしてるくせに。やっぱり男の子だ。でも少年は知らない。彼はあたしが無邪気な女だと思ってる。少年は知らない。ヘッドロックをかける前にあたしがデオドラント・スプレー使って万全の準備をしていることを。

女のバックステージは大変なんだよ、と考えながらエリカはデパートの下着売り場に入っていく。最近はカップルで女の下着売り場に来るアホウが増えて嫌だ。そりゃ自分らは楽しいだろう。でもあたしは、どんなパンツをチョイスするかを見知らぬ男になんか見せたくない。見せたら減る。ほーら男が居やがったぜ。バカ女が。連れて来るな。しかも高校生じゃねーか。え?ありゃりゃ。あの高校生、ウチのチームの少年じゃないか。なんだなんだ。なにやってるんだあのバカ。

ヒールの高いサンダルを履いている今日のエリカは身長が180cmに達していて、隠れるのに苦労する。どんな女といっしょなんだろ。マネキンの陰から様子をうかがう。エンドレス再生のCMがうるさい。店員はよくガマンできるもんだ。ふーん、ショートカットでスーツ着た女かあ。ボーイッシュ。OLさんかな。お姉さんかも。いいや、弟と下着買う姉なんているはずない。ガッコの先生って線はないかな。もしそうなら凄いエロ教師だ。うらやましい。

明らかに居心地が悪そうにしている少年が、あるブラを指差す。ショートカットの女がそれに手を伸ばす。それはなんと。あたしが今つけてるブラではありませんか。服の上から見てるだけなのに、どのブラか特定できるのか。少年、おそるべし。ち、ちがう。突っ込みどころはそこじゃない。

自分の好みの下着を女に着用させる男子高校生。

少年よ、キミはそんな趣味を持つ未成年だったのか。あのクールな仮面の下には中年男のような獣脂まみれの欲望が隠されていたのか。てゆーか、あたしに興味があったんじゃなくて、マジでブラに惹かれていただけなの?エリカは飛び出していって問い詰めたい衝動をこらえた。

「試着ぅ?」という少年の驚きの声が聞こえた。ショートカットの女は試着室に向かう。男には下着の試着が意外なことなのか、とエリカは思う。ひとりになった少年は挙動がさらにぎこちなくなり、売り場の外に避難していく。

下着売り場の外でふてくされて待つ男たちの仲間入りかい、キミも。と思いながら見ていると少年は止まらない。どんどん歩いていく。買い物が終わるのを待って、ホテルに行って、女にあのブラをつけさせて、燃えて、というエリカが思い描いたストーリーが崩れそうだ。

後を付いて行くと、少年はエスカレーターを降り、化粧品ショップが林立する中を横切り、デパートの外に出る。ポケットからヘッドフォンを出して耳にかける。ホントにOLさん置いて帰っちゃうの?少年は迷う素振りも見せずに舗道を歩いていく。

よくわかんないけど、そーゆー関係じゃなさそうだ。てゆーか全然関係なさそうだ。そうだよ、キミに下着ショップデートは似合わないよ。あのOLさんも似合わないよ。そのクールぶったところが、ストイックなフリしてるところが可愛いぜっ。

エリカは走った。後ろから少年に飛び掛りヘッドロックをかける。「うあ、エリカさん」「こら、こんなとこでなにやってんの。メシ食いにいこうよ。おごったげる」「エリカさん、顔に当たってる。絞めすぎ」「減るもんじゃないから気にしないでいいよ」。エリカはさらに体重を少年にかけた。「暴れてヒール折るのだけはかんべんしてください」。少年が妙なことを言う。なに考えてるんだろ。男の子って面白い。

少年は空腹だったようで素直について来た。肉食べさてあげよう。それから、やっぱりこのブラは捨てないでおこう。ワイヤーが当たるのはなんとかしなきゃいけないけど。


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