風になる 作:まりえしーる 発表日: 2005/06/10(Fri) 11:57


思いつきでオーヌキくんのお母さんをお見舞いに行った。「なんかヒカワって義理固いね」「いつも世話になってるしさ」「ま、入れよ」。「ヒカワくんが見舞いに来たよ」俺たちはお母さんの病室に入った。「あの、これ」とスーパーのレジ袋に入ったままのリンゴを差し出す。見舞いって手ぶらじゃカッコつかないし、でも仕送り前で金無いし。ごめんなさい。「なに気を使ってるの。でも、ありがとう」、お母さんはベッドの中で笑った。オーヌキくんがトイレ、と言って席を立つとお母さんは、「心配してくれてありがとう。でもヒカワくん、あたしはあなたのほうが心配なのよ」と言い出す。「何事も度を過ぎてはいけない、それはわかるわね」「はぁ」「若い男の子にとって、今がどういう時期なのかはわかるわ。でも疲れが残るほどはダメよ」「はぁ」「がまんするのもカッコいいことなのよ」「はぁ」「摂取した栄養以上に失ったらやせていくいっぽうなのよ」「はぁ」

俺は突然気付いた。お母さんは俺に、な、なんと、マスターベーションの話をしているんだ。これは困った。予期せぬ展開だ。

「お、俺、そんなやりすぎてるように見えるんでしょうか」「あなたはまだ高校生なのにまるで遊び人みたいな疲れ方をしてるのよ。今はまだカラダを作る時期なの。するなとは言わないわ。でも今よりは抑えなさい。わかった?」「は、はい、わかりました」「こんな話をしたことは、ウチの子には言わないでね」「あ、もちろんです」

俺はけっこう考え込んでしまった。やりすぎって外見でわかるもんなのか。おっかねーな。すっげえ恥ずかしい。エロDVDを母親に発見されるハズカシさって、こんな感覚なんでしょうか。でもさ、高校入ってから自分でやったことないんですよ、実は。セックスしかしてないんです。そんなことオーヌキくんのお母さんには絶対言えないけど。

俺って一目でわかるエロいヤツだったのか。確かに他になんにもしてない気もする。病院を出ると太陽が黄色く見える。でかいハーレーが走ってきて、俺の前で止まる。「よお、少年。なにやってんだ」「あれ。こんちは」。サンバチームのドレッドの人だ。「すげーの乗ってますね」「借り物だけどな。そーだ、メットいっこあるんだ。乗らねーか?」

俺はハーレーの後ろに乗せてもらった。「ちょいと一回りしようぜ」。病院前の国道を抜けてバイパスに入る。初夏の風が心地よい。「キモチいーっすねー」俺は大声で叫んだ。「そっか。飛ばすぞ」。ドレッドのひとはハーレーを加速させる。トルクが違うわ、トルクが。「きゃほー」「わははははは」。バカだ。俺たちはバカだ。なにがどうでもいーじゃねーか。俺たちはハッピーゴーラッキーのバカだ。悩みなんてあるわきゃない。「あははははははは」

「少年、昨日練習来なかったな。エリカ、がっかりしてたぞ」「そーっすか。なんかまだ迷ってて」「コーコーセーだからな、受験やらベンキョーやらあるだろーけどさ、来れるときに来いよ。練習もステージも全部出てるヤツなんていねーんだ。みんな穴埋めしあってやってんだよ。お前、スルド似合うぞ。サンバ好きだろ」

なんか、このひとあったかいや。

「そーだ少年、お前、ウチの大学受けろ。うん、それがいい。もし受験するなら俺たちが事前にだなぁ」「な、なんすか」「試験会場案内してやる」「はぁ?」「はぁじゃねーよ。地の利があるお前は、他の受験生に絶対勝てるって」「地の利かぁ。そっか、そいつはすげーや」「な?」「勝った!あははははははは」。俺たちはバカだ。

見慣れたはずの風景が、まるで別の街に見える。みんな毎日生まれ変わってるんだ。気付かないだけで、みんな毎日新しく変わっているんだ。

スーパーの前で降ろしてもらう。「すっげー燃えました。ありがとうございました」「じゃあ明日練習で会おう。アディオース」。ドレッドのひとは走り去った。名前ぐらいは知っとかないとまずいな、と俺は反省した。

帰る途中で101号室と102号室の女のひとたちと出会う。手をつないでて仲が良さそうだ。101号室のひとはいつものように何か声をかけてくる。「どーも」。ヘッドフォンのせいで何言ってるかわからないけど。もしかして毎回「キミはやりすぎだぞ!」って言われてるのかも。女の目は油断できないぜ。

「ただいま〜」。部屋に入るとアズサさんの目の光が妖しい。来てます。でも、抑えろって言われたんだよな。「俺今日さ、ヘンなこと言われちゃったんだ」と言い終わる前にアズサさんは俺の自由を奪う。ベッドに押し倒され、のしかかられた。「ちょっと待って、ね、ね、聞いてよ、アズサさん」「なあに。忙しいから手短に言ってね」

「え、え〜と、今日は、俺が上でスタートさせてください」

アズサさんは嬉しそうに笑って俺の上から滑り降りた。なんていい顔で笑うんだろう。この顔を見て俺に抑えられるはずないです。俺は普段以上にエロバカに徹した。


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