駆けて来た男 作:まりえしーる 発表日: 2005/06/06(Mon) 12:13


マリエは固まった。まさか空き巣に入った家の寝室で死体を発見することになるとは。これはまずい、ピンチだ。もし今逮捕されたら殺人容疑者にされてしまう。逃げなきゃ。

この家は会社勤めをしているミカミという女性が一人で住んでいて、昼間は留守のはずだった。夕方に帰ってくるはずの住人は、今ベッドの上で胸や腹をメッタ刺しにされて死んでいる。血にまみれた包丁が無造作に床に落ちている。これが凶器か。ああ、そんなことはどうでもいい。逃げるしかない。早く逃げなきゃ。

でもたとえ逃げても、空き巣と殺人では警察の捜査の規模が違う。侵入するときの目撃者がいたかもしれない。殺人事件となると、空き巣ならやらないような近所への徹底的な聞き込みが行われて目撃証言が出てくるかもしれない。全国手配される。まずい。どうすれば逃げられるだろう。考えろ、考えろ。

今回は玄関の植木鉢の下でカギを発見したのでドアも窓も破壊していない。侵入前から手袋をしていたから指紋はどこにも残していない。土の上を歩いていないから足跡も無いはずだ。何か忘れていることはないか。他に何か不安材料を忘れていないか。ええい、時間がたつほど危険が増える。逃げよう。撤収だ。

玄関のドアを開けたその時、いきなり豪雨が降り始めた。なんでこうなるの。高校生の頃から雨女と呼ばれ始めたあたしだけど、これはあまりにあんまりだ。運が悪すぎる。そもそも高校時代にあたしの人生は狂ったんだ。足を踏み入れてはいけない場所ばかり選んでは首を突っ込んでしまうヘンは性分は生まれつきだけど。ああ、今はそんなこと考えてる場合じゃない。逃げなきゃ。でも、こんな土砂降りの中を歩いてたら物凄く目立ってしまう。雨が弱まるまで中で待とうかと迷ったその時、前の通りをサラリーマン風の男が走ってくる。反応が遅れて目が合ってしまった。顔を見られた。どうしよう。

「入って!入って!」。マリエは覚悟を決め、男に大きな声をかけた。巻き込んでやる。この男を巻き込んでやる。逃がさない。絶対に逃がさない。この男を犯人に仕立ててやる。凶器にこの男の指紋をつけてやる。そしてこの男の精液をなんとしても手に入れて死体に仕込んでやる。男はそういう動物だ。カンペキな証拠を作り出してやる。あたしは無傷で逃げなきゃいけないんだ、絶対に。マリエは玄関に駆け込んで来た男に上品な主婦の声で「すごい雨ねー」と話しかける。「いやー参りました。助かりましたよ」。ひとのよさそうな青年だ。勝てる。あたしは勝つ。次はどうする、どうすればいい。まずは手袋をしている理由だ。マリエは微笑みの裏で全知力をフル回転させていた。


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