アズサ 作:まりえしーる 発表日: 2005/05/27(Fri) 11:39


アズサさんは時に神がかった行動をしたり思慮深いセリフを言ったりするが、その本質はセックス狂だってことを忘れちゃいけない。ひとたび性衝動に火がついたら、もう誰もアズサさんを止めることはできない。いつその火が付くかと言うと、これがなんと毎晩だ。高校生である俺は試験期間中に「ベンキョーとセックスの両立」という見方によってはゼータクな悩みを、具体的には徹夜の連続という試練を克服しなくてはならない。「この科目はここと、あとここだけやっとけばいいよ、じゃあね、おやすみ」。セックスの後そう言ってアズサさんは壁の中に消えてしまう。俺は朝までその通りにベンキョーするわけだが、このヤマがあきれるほどよく当たる。アズサさんは「勉強はキライだったけど試験は得意だった」んだそうだ。おかげで俺の成績はクラスの上位をキープしているが、毎度毎度の寝不足は深刻だ。試験最終日の帰り道、今夜は眠れるぞ〜と思いながら歩道橋を降りているとき、俺は強いメマイに襲われた。大きくバランスを崩す。やべっ。「ヒカワくんあぶな〜い!」どてっばたばたばたぐしゃ。手すりにつかまってぼうっとしている間にそんな声と音が聞こえた。ようやくメマイが治まって顔を上げると、歩道橋の下に同級生のまりえがパンツ丸出しで倒れている。うわっ、ひでーカッコ。

「ヒカワくん、悪いね」「どんと・めんしょん・いっと」。勝手にひとりゴケしたとはいえ、まりえは俺を助けようとして階段落ちしたんだ。責任を感じた俺は近くにあった医院にまりえを運び、医者の診察を受けさせた。足首の軽いネンザと擦り傷多数、アタマは打ってなかった。まりえの場合、少しは打っといたほうがよかったかもしれないが。歩くのがつらそうなので、後ろめたさもあって家まで送ることにした。でも女子を背負って街中を歩かされるのは屈辱の極みだ。ここまで譲歩する必要はあったのだろうか。とほほ。アズサさんに見られたら捨てられちゃうかも。そんなわけで俺は今、世界一不機嫌で寡黙な男になっている。

まりえの家に来るのは初めてだ。まりえの父親は現在入院中で、母親は今日も面会に行っているとのことで誰もいない。まりえをリビングのソファに座らせ、長い使命がようやく終わった時にはもう夜になっていた。アズサさん待ってくれてるかな。早く帰りてえ。「コーヒーでも入れようかって言いたいけど、この足じゃ台所に立てないや。ヒカワくん、入れてよ」「俺コーヒー嫌い」「じゃ紅茶」「もっと嫌い」「じゃあなにが好きなのさ」「自分の家に帰ってから飲むコーヒー」「サイテー。今夜もママ遅くなるからあたし餓死しちゃうかも」

その時、家の照明がすべて落ちた。

「停電か?」外を見ると街灯はついている。ブレーカーが落ちたのかな。遠くでガシャーンとガラスの割れる音がした。何かが起こっている。なんだろう。リビングの壁の足元非常灯が点灯したので真っ暗ではないが俺は緊張している。

突然、リビングに見知らぬ男が入って来た。20代か30代か40代の男だ。オッサンの年なんてわかるか。手にはボウガンを持っている。犯罪性サイコーレベルの非常事態だ。「誰だてめえ」俺は一応大声を出した。「騒ぐな!」男はボウガンを俺に向けた。勿論俺はおとなしくすることに決めた。男は「ちっ、ひとりじゃなかったのかよ…」と舌打ちしてから「ま、まず、お前らのケータイをこっちによこせ。床を滑らせてこっちに投げろ」。そう言う間もボウガンはこっちに向けられたままだ。俺たちはそれに従った。男は俺たちのケータイを踏み潰した。家の電話線も切断されてるんだろう。さっきの停電の狙いはこれか。
男はボウガンを今度はまりえに向けて言った。「恨むなら自分の父親を恨め。お前のオヤジがあのクマを拾ったりするからこうなったんだ。お前さえ殺せば俺のことを知ってるやつは誰もいなくなるんだ」。何のハナシだ。「え、ナカタイクミさんの手紙のことなの?もうひとりの人はどうしたの?あなたはどっちなの」。まりえには通じてるらしい。「ナカタイクオさんなら、俺がさっき殺してきたよ」「なんてことを…」

事情はさっぱりだが、どうやらボウガン野郎はまりえを何かの口封じのために殺しに来たらしい。ジョーダンじゃない。俺も口封じされるに決まってる。必死に考えた。ボウガンの矢はセットするのに時間がかかる。イッパツ発射しちまえばその直後にスキができるわけだ。ボウガン野郎は弱っちい。素手なら絶対俺が勝つ、勝つんじゃないかな。つーか勝たなきゃいかん。ボウガン野郎も同じことを考えてるんだろう。想定外の俺という存在をどう処理しようか迷っている。まりえをさっさと撃ちたいんだろうが、その後どうするかわからないんだ。まず俺を撃ち殺してから、歩けないまりえを襲う、という手順で来られるのが俺にとっての最悪のパターンだ。どうすりゃいい。俺もボウガン野郎も相手の出方が読めずにいる。

その時リビングの奥の壁で白い布と長い髪が揺れた。アズサさんだ。どうしてここに。ボウガン野郎は凄い目をしたアズサさんを見てパニックを起こした。「う、うあああ、うああああっ!」。ボウガンをアズサさんに向ける。「アズサっ!」俺は反射的にアズサさんの前に飛び出した。「あ、このバカっ!」とアズサさんが叫んだのは聞こえた。

いってえ〜。すっげー痛え。歯医者より痛え。下を見ると左脇腹に矢が刺さっている。足元に血の水溜りが出来てて、それがどんどん広がっていく。これが血の海ってやつですか。俺は情けないんだが、その血の量を見て気力が萎えた。へたり込んだ後、背中を下に床に横たわってしまう。

アズサさんが俺をまたいでボウガン野郎に肉迫するのが見える。凄い形相だ。アズサさんに睨まれたボウガン野郎は、突然左胸を押さえて震え出した。そして両ひざを落とし、しばらくうめいた後、額から床に崩れ落ちて動かなくなった。

すげーな。睨み殺しちゃったのかよ。おっかねーな、アズサさんは。やっぱすげーや、俺のアズサさんは。そりゃあそーだよ。俺が惚れた女だもんな。すげーよ。

アズサさんは俺の視界から外れた。

「立ちなさい、まりえちゃん。立つの!立って!早く立ちなさい!よしっ!隣の家でも公衆電話でもいいから行って救急車を呼ぶのよ。わかった?わかったの?返事しなさい!」「は、はいっ!」「救急車をこの家に呼ぶのよ!復唱しなさい!」「きゅ、救急車をここに呼びに行きます!」「よしっ、行けっ!急げっ!」

鬼軍曹だな、俺のアズサさんは。この軍曹のために死ねのは悪くない。

天井を見ていた俺の視界にアズサさんが入って来た。「アズサさん、こっちに来ると足が血で汚れちゃうよ」俺はけっこうマヌケなことを口走ってるかもしれない。アズサさんはしゃがんで俺の顔に顔を寄せてきた。「バカね、あんなものがあたしに当たるわけないって思いつかなかったのかなあ、キミは」そう言って俺の髪をなでる。「そーいやそーだね。俺も自分が凄いバカなんでびっくりしたよ。ねえアズサさん」「なあに」「俺、死ぬのかな」「ヒカワくんは死なない」「でも凄いいっぱい血が出てる」「男のひとは血に弱いよね。女にとってはこの程度の血は見慣れたものよ。もうすぐ救急車も来るし」「まりえ、ケガで歩けないよ。呼べないって」「普通に走っていったわ。ヒカワくんのことになると、痛さを忘れちゃうみたいね」「実は俺の血、特別な血なんだ。どこの病院でも俺の血の在庫、たぶん無いと思う」「なに細かいこと言ってるの。ねえ、ヒカワくん、もしかしてここで死にたいって思ってる?」「俺もさ、死んだらさ、アズサさんのこと、もっとわかるかな。もっとアズサさんに近付けるのかな」「残念ながらここで死んだら、キミは永遠にあたしのことはわからない。わかりたかったら生き延びたいって思いなさい」「ア、アズサさん、聞いてもいいかな、俺って、やっぱダメな男だったかな、他の男って、もっとバキっとした、オトナでさ、俺ってしょーもない男だったのかな」「あたしにそんなことわかるわけないよ。あたし、ヒカワくん以外の男のひとと付き合ったことないもん」「はぁ?」「あたしは純潔のまま死んだの。あたしの初めての男性はヒカワくん、キミだよ」

うっそみたい。うそだろーな。でもそういうことにしといてもいーか。「俺もアズサさんしか知らないんだ。だって女ってめんどーくさいじゃん」。これはホント。さっきまで寒かったけど、なんかあったまったよ、アズサさん。すげーきれいだな。少し眠るわ、俺。


俺が目を覚ましたのは病院のベッドだった。ミョーな世界を歩いててアズサさんに引きもどされる、なんて楽しい夢も見なかった。ちょっとがっかり。

後から知ったことを書いておく。俺が搬送されたのは、まりえの父親が入院している救急病院だった。案の定、俺に合う輸血用血液のストックは足らなかった。ところがなんと、まりえの父親が俺と同じ血を持つ人で、「娘の命の恩人だから」と自分の血を提供してくれたんだ。それで俺は助かった。自分だって病気入院中なのに、大事な血をくれたんだ。すげーな、人間って。おとーさん、ありがとう。でもさ、俺ホントは恩人でもなんでもないんだ。ごめんね、おとーさん。

ボウガン野郎はもともと心臓に疾患があって、あの時偶然発作を起こしたんだそうだ。死んでなかった。かなり余罪があるとかで現在警察が取り調べの最中だ。勿論俺はあの発作が偶然とは思ってない。

アズサさんは毎晩病室にやってくる。まりえの父親を助けたのは、俺がこうなることを見越してのことだったのだろうか。怖すぎる。アズサさんは「すごい偶然だね」と笑って、ちゃんと答えてくれない。相変わらず俺にはアズサさんがわからない。アズサさんはベッドにすべり込んでくる。「うわっ、ねえアズサさん、傷がひらいちゃうって、ねえ、やばいって」「大丈夫、静かにゆっくりやるから。声だしちゃだめよ」。アズサさんを止めることはもう誰にもできない。


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