ヌイグルミ 作:まりえしーる 発表日: 2005/05/19(Thu) 08:53


クラブで拾った女を部屋に連れ込んだ。Kでもキメてたのか目がトロンとしてて何でも言いなりの女。ちょろい。セックスの後シラフに戻ったらしく、女は自分の事を語りだした。俺はダルかったし長い話は嫌いなんで適当に聞き流していたんだが、実は家出少女で行くところが無いと言い出したときは、居座られそうでまずいなと思った。そういやこの女、でかいバッグを持ってたよな、あの時気付くべきだった。でも冷たくあしらっとけばそのうち出て行くだろう。いい胸してるからもう少しやりたい気もするし。

女の言うことには、泊り込みでの遺跡発掘調査のバイト先からそのまま家出してきたらしい。どおりで大荷物なわけだ。女はバッグからクマのぬいぐるみを出してベッドの隅に座らせた。俺はあきれて「そんなの持ち歩いてんのか。お前、年いくつだよ」と言うと「これはさあ、あたしの命綱ってゆーか。ま、他人の生き方はいろいろだよ。この件はほっとけよ。タオル貸してくれる?シャワーあびたいんだ」

女は猫みたいに俺の部屋に出入りするようになった。ときおりふらっと外出するが数時間後に帰ってくる。俺には何も要求せず、部屋の隅で静かに本を読んでいることがほとんどだ。金に困ったそぶりは見せない。司法試験の浪人中の身で無職で、とりあえず受験勉強に打ち込まねばならず、決まった彼女も持てない俺にとって、気も金も使わずに好きなときに抱ける女は結構ありがたい存在になっていった。親の仕送りで暮らせるのも今年が最後だろう。来年の俺はいったいどうしてるんだろう。そんな煮詰まった気分の時には女の肉体を貪った。

女が外でやってることには知らん顔をしていたが、こいつはどうやら合法ドラッグ売買を生活の糧にしているらしい、と俺は推理していた。自分のキャリアを大切に考えるなら、早めに手を切ったほうがいい。でもキャリアだって?俺は本当に司法試験に合格できるのだろうか。

ある夜、女の乳房を揉みながら「胸が大きくなったな」と言うと、生理が来なくなったせいかな、という。背筋が凍る思いがした。「い、いつから」。声の震えを悟られてしまっただろうか。「あ、もともと不順なんだ。今度も、たぶん、そう」。少しほっとした。しかし女は言った。「でもね、もし出来たら絶対に生むんだ。絶対あたしの親みたいなことは…、あれ?」突然生理が始まっていた。女が言いかけたことは家出と関係のあることなんだろうが、俺は関わりたくなかった。

5ヵ月後、俺は司法試験に合格した。その夜祝賀セックスの最中に女は「もうひとつ、おめでたいことが、ああっ」。射精しながら妊娠を告げられた男なんて他にいるだろうか。

俺の人生はようやく春を迎えようとしている。その俺のかたわらに犯罪性の高い商売をナリワイとしていて、そのうえ俺の子を身篭ってる女がいる。しかもこの女が中絶に同意することはあり得ないこともわかっている。早く別れるべきだったのに不合格への恐怖、先が見えない不安からだらだら関係を続けてしまったことを悔やむ。しかし俺は前へ進まねばならない。

やることはひとつだ。俺たちは初めて二人で旅行をした。海が見たいという女の希望にこたえてやった。運動不足でなまった肉体にムチ打って断崖絶壁の上まで行った。そして当たり前のように女の背中を思い切り押して逃げ帰ってきた。

翌日、部屋に置いてあった女のでかいバッグは上野駅のコインロッカーに入れ、そのキーは不忍池に沈めた。家に帰るとベッドの隅に例のクマが残っているのに気付いた。これくらいはそこらに捨てても大丈夫だろう。燃やせないゴミの日の前夜だったのでゴミ置き場に出した。

翌朝外出するとき、偶然ゴミ回収車とでくわした。すると車の後部にある、作業員がつかむためのバーようなものに俺が捨てたクマがはさんである。作業員がもったいないとでも思ったのか。捨ててくれ、と言いたかったが不自然すぎるので思いとどまった。回収車のワキを歩く俺を、クマがじっと睨んでいる気がした。

次の回収日の朝、俺はゴミ回収車を待たずにはいられなかった。あのクマが付いたままなのかどうかを確かめたい。割れたオルゴールの音、耳障りなメロディー。来た。俺は外に出て行った。果たして回収車に付けられたクマはもういなくなっていた。これで全部終わった。

部屋にもどる途中、郵便受けをチェックするとチラシの他に俺宛の封書が一通あった。子供っぽい字で書かれた差出人の名前は「斉藤まりえ」。誰だ?胸騒ぎがしたので部屋に入ってから封を切った。

「パパがたすけてきたクマさんの背中のチャックのなかに、おてがみが入っていました。こまっているようなので、書いてあるとおり両方に同じおてがみを出しました」

ご丁寧にあの女がクマのぬいぐるみの中に忍ばせていたメッセージのコピーが同封されていた。

「クマを落としたのは私、中田郁美です。私は今大変困っています。助けてください。このクマを拾ったかたは、どうか下の二人にご連絡してくださるようお願いします」

ひとつは俺の住所と名前と電話番号、もうひとつは中田育夫という名前と見知らぬ住所。おそらく女の実家、女の父親のものなんだろう。

その時電話が鳴り出したが、俺には出る気力はなかった。


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