盗癖 作:まりえしーる 発表日: 2005/05/16(Mon) 08:52


マリエは盗癖のある女である。生理が近くなるとそのクセが頭を持ち上げてくる。自分を抑制することがとてもむずかしい。ここまでは世間でたまに聞くことのある話だ。ちょっと違うのは、マリエの場合、盗みとは万引きではなく空き巣を意味していることだ。

ゴールデンウィークはマリエの血を騒がせる。日本中に無防備な留守宅が溢れていてどこから手をつけようか迷う楽しみ。マリエはいつもの通りスーツ姿で大き目のバッグを提げ、いつもの時刻に家を出た。隣人からは地味でマジメなOLに見られているはずだ。バッグには生命保険のパンフレットの下に空き巣のための道具類が詰め込んである。保険の外交員が彼女の表の顔。今日も先週本業での外回り中に目をつけておいたアパートに向かう。

その2階建てアパートの郵便受けは、どれも新聞やチラシが溢れ出していた。彼女はわき目もふらず、しかし落ち着いた足取りで2階の一番奥の部屋へ向かう。「松木」という手書きの表札。指紋を付けないように握りこぶしでチャイムを一応押すが、留守だと確信している。ここで手袋を付ける。小型ドリルを使うときが最も危険な場面だ。ドアに穴を開け工具を挿入してサムターンを回す。よし。開けた穴の上に「節水にご協力を!」というステッカーを貼り室内に入る。

マリエの狙いは現金だけだ。サイフに入れてしまえばあたしのもの。一万円札を隠すなら札束に隠せ。通帳や貴金属類はめんどうすぎる。それにしてもなぜ人間は家に現金を置いておく生き物なのか、ありがたい習性ですこと、などと思いながらマリエは部屋の内部をうかがう。

流し台とユニットバスに挟まれたキッチンの奥にワンルームがあるだけの狭いアパート、しかし奥の部屋は真ん中あたりでカーテンで仕切られている。なぜ狭い部屋をさらに狭くする、と思いながらマリエはカーテンを開いた。すると。

マリエは呆然とした。その空間は彼女の写真で埋め尽くされていたのだ。壁にも天井にも夥しい数の写真が隙間無く貼られていて、そのすべてにマリエが写っていた。自宅を出るマリエ、街を歩くマリエ、コンビニでストッキングを買うマリエ、ベランダに下着を干しているマリエ…。中身がつまった自治体指定のゴミ袋がいくつも床に置いてある。いくつかは口が縛ってあり、いくつかは開いている。縛ってある袋には「未分類」と書いた紙が貼ってある。開いている袋から見えるのは…「あたしが先週捨てたパンプスだ」。机の上にあるブラジャーやパンティーなどもどこか見覚えのあるものばかり。背表紙に年月が書かれたスクラップブックが何冊も並んでいる。一冊取って広げると、それは前回のマリエの犯罪を、家を出るところから帰宅するまで追跡した詳細な記録だった。

ヒザを震わせながらスクラップブックを凝視していた彼女は首に刺されるような痛みが走るその時まで、背後にその部屋の住人がいることに気付かなかった。

マリエは意識を取り戻したが注射された薬物の影響がまだ残っていた。世界が揺れて見える。「お、お目覚めですね。電車以外の場所で寝顔を見るのは初めてだから感激しちゃった。寝ぼけた起き抜けの顔もかわいいなあ」

「あなた、誰」。マリエはまわらぬ口でやっとそれだけ言えた。 「何言ってるんですか。ファンですよ、あなたの。追っかけっていわれても仕方ないかな。あなたのことは何でも知りたいし、あなたに関するものなら何でも欲しい、そんな一途なファンです。あなたの仕事を知ってから、ずーううっと待ってたんですよ。この部屋を留守宅サイン出しまくりにして。絶対来てくれないと思ってたんですけどね。先日あなたがこのアパートの下見に来てくれたときは、ちびっちゃうほど喜びましたよ。いや、実際漏れちゃったんですけどね。起きてる時に夢精したのは生まれて初めてでしたー。あれはまいった」

男はよく喋る。喋りながらも手は忙しく何か作業している。顔に汗が浮かんでいるのは太っているせいだろうか。何をしているんだろうと思って見ると、太った男は女物の服や下着に日付を書いたタグを付けているようだ。それは今朝自分が選んで身に付けたものだ、とマリエは気付く。マリエは自分が全裸で両手両足を何かに固定されている状態にあることをようやく理解し始めている。まわりを見渡すと三脚に載ったビデオカメラがあり作動中のLEDが点灯している。PCのディスプレイにはデジカメで撮影したらしい写真のサムネイルが並んでいる。それを見てマリエは失神中に自分が何をされていたのかを知る。なんて卑劣な男。

「アイドルとファンが結ばれる、そんな話、幻想じゃないですか。あり得ない。ところが現実に僕の身に起こっちゃった。奇跡です。神話ですよ。僕は今日神話を作ったんだ」

男は注射器を取り出し、ガラスのアンプルの先を折った。「なにをするの。あたしになにをするつもりなの」。まだうまく喋れない。かすれた小さな声を出すのがやっとだ。マリエは絶望的な危機感にとらわれた。

1ヵ月後、マリエの郷里の両親は娘の長期不在に気付き捜索願いを出す。警察は調査の過程で先月マリエがマツキ・リョウタという男と婚姻届を出していたことを知る。それに書かれていた住所は、おととい火事で全焼し太った男の焼死体が発見されたアパートだった。


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