みだしなみ 作:まりえしーる 発表日: 2005/05/12(Thu) 09:05


前の晩の深酒のせいで寝坊してしまったあなたは大慌てで身支度をして家を出る。今日は以前から気になっていた女性新人のヨシカワくんが研修期間を終えてあなたの部署に配属されて来る日だ。第一印象は重要なのに、あなたの今日のヴィジュアルは疲れたサラリーマンそのものだ。髪の寝グセは会社のトイレでなんとかしよう。いけね、昨日帰ったら鼻毛カットしなきゃと思ってたのに忘れた、とあなたは駅のエスカレーターの途中で気付く。ホームでばったりトーストくわえたヨシカワくんとハチあわせ、なんてことになったらまずい。あるわけないけど。そういえばこないだ買った目薬のオマケの小さな鏡がポケットに入ってたな、ほら、あった。あなたは鏡を取り出しさりげなく鼻毛をチェックする。普通の表情してればかろうじて鼻毛オッケーだな、笑いさえしなければ。よし今日は一日クールにいこう。エスカレーターを上りきったところであなたは警官に腕を押さえられる。「な、なにすんですか」。警官はニヤリと笑って「ちょっとむこうで話聞こうか」という。あなたは訳が分からず「離してくれよ、なんだよ」と腕を振りほどこうとする。警官はキレる。「あんたはぁ、前に立ってたジョシコーセーのスカートの中見てただろ。そのカガミでさぁ、そこの子のパンツ見てたんだろ」。「なんだって?」。気付くとポニーテールの女子高生がおびえた目であなたをじっと見ている。「見てない!見てないぞ!」「じゃあそのカガミはなんなんだよ」「これは顔を見てただけだ!」「そおかい、じゃ続きは交番で聞くよ」

なんなんだ、この警官は。こんなつまらないいいがかりで俺の人生が狂わされるのか。仕事はどうなる。クビか。ニュースに出るのか。一族の恥か。無罪を主張するとガサ入れされて部屋にためこんだ盗撮ビデオやブルマー写真集が全国放送されちまうのか。裁判で負けて手鏡没収だってよ〜とか日本中のアホなガキどもに嘲笑されるのか。俺のオヤジは校長でオフクロは生け花の先生だぞ。姉貴は旧財閥の御曹司と婚約中だ。全部だいなしか。新人のヨシカワくんは凄い胸してるのにまだ触ってもいないんだぞ。確かに俺はセーラー服系のフーゾクに通ってるよ。ジョシコーセー大好きだよ。でも性的嗜好と犯罪行為を実行するかどうかは別問題じゃないか。

あなたは絶対に交番に行ってはいけないと考える。そこで無罪を主張しようが早い釈放を求めて罪を認めようが失うものの大きさに大差が無いからだ。何故かあなたを連行している警官はひとりだ。おかしい。警官がこんな場面で単独で行動するものだろうか。そうだ、こいつはニセモノだ。俺の足を引っ張ろうとたくらんでるヤツの陰謀に違いない。総務のタバタか。ヤツもヨシカワくんに目をつけてたからな。許せん。

あなたはバッグからスタンガンを取り出し警官に押し当てる。警官がショックで腕を放したところで金的を蹴り上げ、かがみこんだところをさらに顔面にヒザを入れた。周囲のざわめきはもう気にならない。あなたは警官のベルトに手を掛け拳銃を奪う。まわりから悲鳴があがった。あなたは警官のこめかみを爪先で蹴ってから走り出す。自動改札を飛び越えホームに突入する。拳銃を手に疾走するあなたの行く手で人の波が左右に割れていく。しかし何故かひとりの女性があなたの前に立ちすくんでいる。恐怖で逃げられないのか。あなたは目を疑う。その女性は新人のヨシカワくんだ。あなたは彼女を人質にしよう、これはグッドアイディアだと考える。刑事ドラマで見たとおりに、あなたは左手で彼女の腕をつかみ背後にまわって右手の銃口を彼女の横顔に当てるつもりだ。そして「おとなしくしろ殺しはしない」なんて耳元で囁き、ついでに胸なんかもんじゃったりして。彼女はあえぎ恋が生まれる。へへっ。そんな思いを胸にあなたはヨシカワくんにつかみかかる。しかしそこで世界が回転する。ヨシカワくんの仏壇返しという大技をくらい、あなたは宙を舞いホームの下、レールの上に転落。あなたが最後に考えたことは、鼻毛は家を出る前に処理しなきゃダメだ、ということだった。


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