月までぶっ飛ばして 6 作:まりえしーる 発表日: 2006/01/06 13:00

俺とカヨは幼なじみってやつだ。家が近所だったもんで俺とカヨは保育園から高校までいっしょだった。俺が大学に入って実家を離れ一人暮らしを初めてからは会ってない。カヨのことを思い出すことも無かった。幼なじみってのはそんなもんだろう。

ある日カヨが失踪したと親からの電話で知った。カヨが姿を消してから一週間という時間が過ぎようとしているそうだ。そのときの俺は、つきあっていたOLが海外赴任で長期間日本を離れる、という悲しい別れを経験してへこんでいた。いや、へこんだの一言でかたずけられる落ち込み具合じゃなかった。俺は恋人だと思っていた女性が、俺よりも仕事のほうを、あっさりと、選択したって事実に打ちのめされ地獄を見た。そのズブズブのドロドロか少し回復し始め、自分を客観視できるようになりかかったころ、カヨの失踪を知ったんだ。そのせいかカヨのことが物凄く気になった。これまでなんとも思っていなかった幼なじみが突然かけがえの無い存在に思えて来てさ。失恋による一時的な気の迷いかもしれないけど。あの街に帰ってみようかな。俺はそんな気になっていた。俺には気分転換が必要だったんだろう。

郷里に帰るのは三年ぶりだ。カヨのことは実家近辺では大きな話題だったらしく、俺の親はあきれるくらいいろんな情報を知っていた。だがダイジェストしてしまえば、カヨが突然失踪した、姿を消す直前までは普段の生活をしていた、それだけの話だ。

親と話してる間、俺のニオイを嗅ぎつけた実家の犬が庭で吠え続けていた。ケルベスという名前の小型犬が俺との久々の再会で大興奮してる。よしよし、わかった。散歩に連れてってやるよ。

家を出るまでは犬の散歩が俺の日課だった。三年もほっぽらかしてたのに遊び相手のことは覚えてるんだな、犬って。さあ、行こう。少しは年を取ったんだろうけど相変わらず元気だな、お前は。でも今日は昔パトロールしてたのとは違うルートを歩こうぜ。こっちだ。犬は一瞬「へ?」という顔をしたが、すぐ楽しそうに歩き出した。

俺の生まれた街は田舎だ。ちょっと歩くと農耕地しかないエリアになる。三年たった今も田舎のままだ。てゆーか、田舎度数がさらにアップしている気がする。俺が子供のころからすでに使われていなかった畑や田んぼが今もそのままの状態だ。そして、そいつらが領土を拡大している。過疎化が進行しているんだろう。農業が寂れたら国は終わりだ、と農業をやる気など全く無い俺が無責任に考えている。どがんしゅーでんなか。

俺と犬は前後左右に田畑を見ながら歩く。誰ともすれ違わない。車を見ることも無い。この街は死んでいくのか。立ち枯れていくのか。

道の脇には用水路があり、ずっと先にある川まで続く。この用水路も、俺が子供だったころから水が無かった。今も当然無い。川すらも干からびているんじゃないかって気がしてくる。

無人の荒野で犬を束縛していることの滑稽さに気付いた俺は、リードを外して犬を解放してやる。犬は大喜びで走り回るが、ごめんな、ここにはお前が興味を持てるようなものは何も無いみたいだ。

俺はぶらぶらと川を目指す。ガキの頃、カヨと川原に遊びに来た記憶が甦ってくる。何をしに来てたんだっけ。泳げるような川じゃなかった。河童が出る、みたいな伝奇すら無い、中途半端で、つまらない、何も無い、退屈な田舎。俺はここが嫌いだ。

橋が見えてきた。子供だった俺たちは、この橋を渡ることはほとんど無かった。橋の脇から川原に降りていって遊んだんだ。水のそばが好きだったんだろう。小動物でも捕まえてたのかな。覚えてないな。なんで記憶が無いんだろう。

道の脇の用水路は終点を迎える。土手を貫通する土管が暗い口を開けている。大昔はこの用水路を流れていたであろう水はこの土管を通って川へ流れ落ちていたはずだ。

そのとき、水の無い用水路を歩いていた犬が、何故か土管の中に入っていきやがった。「ケルベス!」と大声で名前を呼んでも出てこない。まいったな。

ガキの頃、この土管を潜り抜けて川原に出るって冒険を何度もしたなあ、と思い出しながら用水路に下りて土管を覗き込む。中は真っ暗で犬の姿は見えない。「おーい、ケルベスー、戻ってこーい」。反応無し。

仕方なく俺は用水路から出て土手を上がり、そして川原に下りた。出口側から土管の中の様子を窺うが、やはり犬の気配は無い。呼びかけても返事は無い。もっとも犬って動物はフツー返事はしないか。

そもそも土管の中が真っ暗なのは何故だろう。反対側の光が見えてもよさそうな気がする。ガキの頃はどうだったかな。思い出せない。雨で流された泥土が途中に詰まっている可能性はある。土管にアタマを突っ込んでみる。狭さと暗さにどきどきしながら潜り抜けた記憶があるが、けっこう太かったんだな。今の俺でも入れそうだ。俺は細身なんで肩さえひっかからなければ通過できる。あ、入れる。

俺は用水路側に戻る。犬の後を追ってみる気になったんだ。非常事態においては喫煙者は非喫煙者より優位に立てる。というと大げさ過ぎるが、ライターを携帯しててよかった。俺はライターを右手に握り締めて土管の中に入って行った。

以前この中を探検した頃の感覚が甦ってくる。てゆーか、つい最近のことだったような気がする。なんでだろ。

そろそろ土手の中央あたりかな、という地点で俺はぎょっとした。土管と土管のつなぎ目が大きくズレている。そしてつなぎ目に出来た隙間から土砂が落ちているのだ。こないだの地震の影響だろうか。やばい。キケンだ。

その時犬の息遣いが先から聞こえてきた。いた。早く捕まえてここから出よう。俺はズレたつなぎ目を越えて奥へ進んだ。

「ケルベス!」ともう一度呼ぶと「ワン!」と返事が帰ってきた。こんなとこに入り込むバカ犬のくせに利口なヤツだ。俺はライターを着火した。

犬は一人じゃなかった。誰かの手をなめている。犬が邪魔で手しか見えない。俺はウソだろ、ウソだろ、とつぶやきながら匍匐前身で近づいた。

そのとき俺の後方で土砂が崩れる音がして、俺は退路を断たれたことを知った。土管の中は完全な暗闇になってしまったが、酸素を浪費するのがイヤで俺はライターを消した。

顔が見えなくたって誰だかわかるさ。俺たちは幼なじみだもんな。カヨ、俺がずっといっしょにいてやるよ。

先週カヨをこの川原に呼び出しキスを迫ったが拒否されて逆上し彼女の首を絞め土管に引きずり込んだのは、誰あろう失恋の痛手で心神喪失状態だった俺だったってことさえ思い出さなければ、俺ももう少し安らかに逝けたんだろうか。


前へ 目次 BBS 次へ
inserted by FC2 system