キープ・オン・ムーヴィン その18 作:まりえしーる 発表日: 2005/11/10 11:00

「あはははははははははははははははは」

その時コナツの右手が勝手に動きフジノの顔をつかむ。フジノの笑いは唐突に止んだ。大きく開かれた両目が、フジノの驚きを表現している。

コナツは手をフジノから戻す。意外なことをする手だな、こいつは。へんなの、とコナツは思う。

コナツは自分の右手を見ながら言う。「フジノ、実家に帰りなさい。あなたは帰ったほうがいい」「そ、そんなこと言わないで。あたしが壊れちゃったみたいに言わないで」

フジノは声を上げて泣き始めた。「ごめんなさい。ヨシカワさんにも、あなたにも、ウソをついて。自分でもなんであんなことしたのかわからないのよ。わかってるけどわからないの。傷つけてやりたかったのよ。あたしがやられたように、傷つけてやりたかったのよ。だけどなんでだかわからないのよ。許して。許してもらえないって知ってるわ。ごめんなさい」

「いいの。もういいの。フジノ、元気で」。コナツは立ち上がる。「ヒカワくん、帰ろう」

コナツと少年は部屋を出て行く。フジノはうずくまって、ごめんなさい、ごめんなさい、と言い続けている。

クルマまで歩く間、少年はコナツの肩を抱く。いてくれてよかった、とコナツは思う。あたしはひとりじゃない。フジノには、何も無い。でもさあ、誰の人生にだって、そばに誰もいない時間はあるんだ。しかもかなり長く。だから同情しないよ、フジノ。あなたのやったことは許せない。けど恨みもしない。さよなら。

クルマの前でコナツは少年に尋ねる。「どうする?どこへ帰るの?」「もちろん、ご一緒します。今夜はコナツさんをひとりにはできません」「あたし、酔っ払うよ、今夜。べろべろに。サイテーの女になるよ」「俺はサイテー以下になりますから気にすることない。それにコナツさんはどーせ何やったってサイコーの女性から転落できっこないし」「なんだそりゃ」

こいつは、あたしがちゃんと運転できるか心配してくれてるんだ。和ませてくれてるんだ。そう思うとコナツは気持ちが少し落ち着く。

二人はクルマに乗りシートベルトを締める。

「ありがとう。でも」「でも、って?」「酔って悲しみに沈む時間が無くなっちゃうからなあ、キミとふたりでいると」「え。それって悪いことですかね」「いや、ほら、時にはどんよりしたくなることもあったりするじゃない」「いつでもできますよ、そんなことは。今日すべきことじゃあない。間違いなく」「じゃあ今日すべきことって何」「そりゃあ愛し合うことです」「あははは。よくマジメな顔でそんなこと言えるな、この男は」「俺はいつでも真剣ですって」

コナツは慎重にクルマを発進させる。この少年の命も生活も預かってるんだ。安全運転でいこう。

途中で酒と食料を買ってコナツのマンションに帰る。男って重い荷物を全部持ちたがるフシギな動物だ、とコナツは思う。こんな小さな発見も新鮮だ。あたしは今生きてるんだな。生きていれば、まだまだ新しい経験ができるんだ。

狭い浴室で二人はいっしょにシャワーを浴びる。「ちょっとスペースにムリがあるよねえ」と言いながらも楽しくてしょうがない。そうだよ、あれこれ思い悩んだりするのは今日じゃなくていい。後味の悪かった日は笑って終わらせよう。

「かんぱーい。これって晩酌ってやつだね。老夫婦みたい。ちゃんとした夕食のほうがよかったかな」「栄養価の高そうなツマミ選びましたから大丈夫。朝まで体力持ちます」「朝まで、かよ。ケダモノー。他に考えることないのか、キミは」「視界にコナツさんが入ってるときはダメですね」

「あたし、セトさんのアシスタント、やってみようかな」「その気になってきたんだ」「うん。いろんなとこに行って、見て、感じて、そんな仕事もいいかなって、恐山に行って思ったんだ。何か確固たるものなんて、あたしには見つけられないだろうけど。感じることくらいはできるだろうから。それだけで充分すごいことだって思うし」

「コナツさんはオトナだなあ。俺なんか全然だめですよ、ガキで」「17歳がなにほざいてるんだか。あたしは21だよ。オトナで当たり前、ってゆーか、あんまりオトナじゃないな、やっぱ。キミのほうがしっかりしてるって、よく思う。今日もキミに救われてるなあ。今日はさあ、正直けっこーしんどかったよ。正直つらかったよ」

コナツは少年にもたれかかる。「お疲れ様でした」「なんかさ、いつでも回り道してるみたいだね、生きていくのって。高いところから見ればすぐ隣にあるってわかるようなところを手探りで目指して、ものすごい迂回して、なのに到着できなかったり」

「まっすぐ進むものなんてこの世には、たぶん無いんじゃないかな。ジグゾーですよ。時間も、物事も。小さなカケラがあっちこっちに散らばってて、でもどっかで結ばれてて、つながったり、ほどけたり、そんな感じ」

「そうか。そうかもしれないね。じゃあ例えばー、今夜のあたしたちは」「今から結ばれることになります」「きゃっ。そんなセキララな」「ぶは。恥じらい。新しい芸風を見た」「キミはなにげに失礼な男だな」「いや、とんでもない。最高の敬意を込めて触らせていただきます」「品が無いなあ」「たとえ下品であろうと、俺は今夜、全部忘れさせてあげますよ」

少年は言葉どおり、コナツをノックアウトした。

コナツは夢を見ている。男女の会話が聞こえる。ああ、「あのひと」と少年が話してるんだ。

「…さんがあの女のウソを見抜けたのは、やっぱ、何かやったんでしょ」「ちょっとだけヒントをね。ほんのちょっと」「ちょっと、ねえ。ところでさあ、どうして恐山だったの」「場所はなりゆきで、別にどこでも」「そーなの?」「うん。ま、旅行に行けば普段よりいっぱいできるかな、って」「なにそれ。そんな理由で」「ヒカワくんも楽しかったでしょ」「それはもう。って、なんだかなあ。そうそう、イタコのひとがフツーのおばさんっぽかったんだけど」「あれはたまたまあの家にいたひと」「はいぃ?」「お手伝いしてもらいました」「お手伝い、って。勝手に操ってたの?じゃああの口寄せはアズサさんがやってたの?なんで?」「ヒマだったから」「はいぃ?」「それっぽくなかった?」「なんだか純情を踏みにじられたような気がする」「あの内容であの金額なら安いもんだと思うよ」「それはその通りだけど、そーゆーことじゃなくって。はあー。やっぱアズサさんだよなあ、やることが。なんだかなー。あはは。おかしいや」「そうは言ってもかなり感動的だったでしょ」「うん、それは認めざるを得ないや」「じゃ、今度はあたしを。あたしも感動させてほしいな」「おまかせください」

ヘンなコンビだな、と思いながらコナツは夢から醒めていく。自分の中で少年がゆっくり動いているのを感じる。ああ、また失神してたのか。目覚めた時こんなふうに少年に抱かれている感覚が、とても好き。

「あたし、夢を見てたわ」「どんな」「あのひとが出てきた。なんかつかみどころがない夢だったわ。でも目が覚めたとたんに忘れちゃうもんだね、夢って。ねえ、あのひとっていつもキミのそばにいるの?」「え。あー、いることもあるけど」「じゃあさあ、あたしたちのセックスって、あのひとに見られてるのかな」「ん。んー、ど、どーだろ。見てないんじゃないかなー」「見られてるかもしんないよね。そう考えたら、なんだか恥ずかしくなってきちゃったー」「ありゃりゃ。じゃ、やめましょうか」

少年が動きを止める。

コナツは右手を上げ、少年の左頬にそっと当てる。

「ううん。いいの、続けて」。コナツは少年の耳にキスをしながら囁く。

「キープ・オン・ムーヴィン」


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