「ご結婚なさってるんですね。ご主人は何をなさってるんで?」
「受刑者です」
「……そうですか。では明日から来てもらえますか」
事務員を募集している土木業者をフリー求人誌で見つけ、面接を受けに行ったらあっさり採用が決まってしまった。コナツは少々拍子抜けしている。
罪を償っている男と獄中結婚した女。世間は好奇の目で見るだろう、職に就くのはむずかしいだろう。でも何を怖がる必要があるもんか。夫は病気で遠くに行ってます、転地療養です、なんてウソを考えたことも確かにあったけど、それがなんになるの。ウソを重ねる苦労で消耗するなんてばからしい。正直に自分のことを話して採用してもらえれば、それが一番じゃないか。
そんな意気込みで職探しを始めたコナツだったが、まさか最初に訪問した会社で採用されるとは。
その会社は水道工事がメインの土木業者だった。コナツの仕事は役所に提出する書類の作成業務だ。着工前の工事申請書類と終わった後の竣工図。図面はCADで書く。CADは短大で触った経験があるので楽に扱えるが、提出する役所ごとに違うフォーマットの書類を要求されるのが面倒だ。
でもこの面倒さをマスターしたら会社に重宝がられるかな。長く勤められるかも。ここをやめても同業他社にすんなり入れたり。ツブシが効くってやつかな。がんばろう。
こうして生活の基盤を持てたコナツは、兄と同居していたアパートを出て賃貸マンションに移り住んだ。部屋は騒音トラブルを避けるため一階を選んだ。たぶん下の階に響いちゃうと思うんだ、あたしの生活は、たぶん。
新しい暮らしがスタートし、新鮮な日々が続く。とはいえ一日中ディスプレイに向かっての仕事はコナツにとっては厳しかった。夕方になる頃には目が疲れ、首と肩がこわばってしまう。帰りにジムに寄らずにはいられない。プールを何往復もしながら考えるのは金のことだ。家賃、駐車場、ジムの会費、ピル。初任給、安いなあ。残業しなきゃ。帰宅して、しんどいよー、疲れたよー、早く来てよー程度のメールを打つだけですぐ眠くなってしまう。充実しているのかもしれない。
ある日コナツは会社にあった「月刊下水道」という雑誌を見た。そこには東京の地下に広がる世界のさまざまな写真が載っていた。コナツは魅了された。なんて面白いんだろう。下水道は、この世界は、もしかしたらあたしに向いてるのかも。よーし、今度下水道デートをしよう。小平市の「ふれあい下水道館」もいいな。どっか本物の地底空間に入れないかな。あいつ、無表情なまんまで「すげえ」とかカンドーするんだろうな。
ようやくコナツが下水道の配管図を描けるようになったころ、なんと会社が倒産した。あんなに仕事量があるのにどうして、とコナツは驚いたが、世界的な原油価格の高騰がそのままパイプなどの材料費に乗っかり、いっぽう仕事を発注してくる工務店からはコストカットを要求される状況で、かなり前から経営は危機に瀕していたらしい。
規定の退職金は払えないがこれはみんなへのキモチだ、と社長から金一封を渡され、コナツは再び無職になってしまった。
あたしってホントに仕事運が無いなあ。とりあえず明日の昼間はあいつを呼び出してずうっとベッドで過ごそう。
コナツは目に付いたフリーペーパーを全部集めながら家に帰った。