「木のこころ・弦のきもち」最終回設定 作:まりえしーる 発表日: 2005/04/12(Tue) 12:05

百田畑影未(ひゃくでんぱた かげみ)は、大宅助六博士が開発したエキスパート・イタコ・システムのコンソール・シートに座った。小さなハム音を上げるベージュの機械の群れに囲まれ、亡き祖父・木目削(きめさく)のヴァーチャル人格と会話するのもこれが最後。影未の膝の上には、今朝作り上げた未塗装のエレキギターが。システムが起動し、影未の前の液晶モニターに伝説の宮大工・木目削の温和な顔が浮かび上がる。

「おじいちゃん、また来たよ。今日はおじいちゃんに見てもらいたいものを持って来たんだ…」

さて、話は時を遡ること数時間前。またしても工房の床で眠っていた影未は助六博士からの電話で起こされた。
「影未くん、悪いニュースだ。実は裁判所からイタコ・システムの廃棄命令が出た。研究は凍結される。裁判のこと知ってたかな。イタコ・システムは霊をもてあそんで故人の人権を踏みにじっている、とかで僕は訴えられていたんだ。霊の人権だってさ、トンデモな話だよ。イタコ・システムは故人の人格・思考を再現しているだけだ。霊なんて関係ない。でも負けちゃったんだよ、裁判。さらに困ったことに、最近僕は僕を訴えてる人たちの気持ちがわかってきちゃってさ。控訴しないことにした。イタコ・システムが遺族に与える動揺は大き過ぎるんだ。もう宗教の領域なんだよ。科学者の僕が扱うジャンルじゃない」
「え…、それじゃあ」
「そう。木目削さんとはもう会えなくなる。君には申し訳なく思っている」
「いつシステムは凍結されるんですか」
「明日だ。今から斑鳩に来て欲しい。木目削さんが君を待ってる」
まだ何もおじいちゃんから教わっていないのに、と思いながら影未は楽器ビルダーとしての職能を注ぎ込んだギターを抱えて斑鳩の祖父の家にやって来たのだった。

ここで話は現時点に戻る。

「これはね、エレキギターっていう楽器。こーゆーの作るのがあたしの仕事なんだ。おじいちゃんにあたしの仕事を見てほしいんだ。…棟梁、これが、あたしの仕事です」

影未はギターをモニターの前に掲げた。

「ほう、この材は日本のものじゃねえな。どれ、ウラ見せてみろ。サオは本体貫いてんのか。3つの材の組み木だな」
「うん、スルーネックっていうんだ…棟梁、どうでしょうか」
「影未」
「はい」
「きれいだ。影未、きれいだぞ。お前はきれいな仕事をする一人前の職人だ」

影未の目から涙が溢れ、モニターの中の祖父の姿がぼやけた。救われた、あたしは救われたんだ、と影未は思った。過去がすべて清算されたような、この時のために生きてきたような気がしていた。

「影未」
「…はい、なんでしょうか、棟梁」
「鳴らしてみろ。楽器なんだろ、そいつは。鳴らすためのものなんだろ」
「はい」

影未は開放弦が多いEm7のコードを上からゆっくり弾き下ろした。アンプを通さないエレキギターの生音は小さい。だが澄んだ音色のサスティーンは長く続く。その音色は斑鳩の澄んだ空気を震わせ、壁や柱の表面をやさしく撫で、遠い空へと吹き抜けていく。

「影未」
「…はい」
「風だな…。お前は世界に風を吹かせてるんだ。お前は風になったんだな」

影未は声を上げて泣いた。


前へ 目次 次へ
inserted by FC2 system