月までぶっ飛ばして 12 作:まりえしーる 発表日: 2006/01/25 18:00

よくもまあ、こんなに身も蓋も無いハナシを次から次へと。

コナツはファイルを閉じてソファの背もたれに身を預けた。両腕を上げ背中を伸ばす。疲れた。

ライターであるセトさんのアシスタントとして働き始めてから一ヶ月がたとうとしている。セトさんの仕事は不定期だ。仕事が無いときコナツは資料整理をやってくれと言われている。今日は分類されていないフォルダを覗いて、セトさんの未発表原稿を読んで過ごしたのだ。

セトさんには霊感があるという。死んだ人のハナシを聞き書きしてるって聞いたけど、こいつらがそれなのかな。それともフィクションなんだろうか。それにしても妙な死に方の連打連打じゃないか。後味悪いな。

この一ヶ月の間、数回セトさんの取材に同行した。いずれも関西方面の寺院が対象だった。コナツにとっては特に印象も無い観光旅行のようなもの。メンバーはセトさん、雑誌社のカメラマン、そしてコナツの三人。列車のチケットや宿は、雑誌社の編集者が手配してくれたり、してくれなかったり。手配してくれなかった場合は、旅行のダンドリを決めるのがコナツの仕事となる。まだ不慣れで原稿執筆に関する手伝いができないコナツにとっては、旅行添乗員のような仕事があるほうが働いている気になれて助かる。

取材旅行の準備がきっちり整った仕事の場面では、コナツにできることは現地で借りたレンタカーを運転するだけになってしまう。なんとか仕事を覚えてセトさんをヘルプできるようにならなくては。ただ付いていくだけ、ってのはつらい。ヒマなのはつらい。

そんな気持ちからコナツは、できるだけセトさんが書いた原稿、セトさんが集めた資料に目を通すよう努めている。

それにしても、不吉なハナシばかりだな。セトさん、書いてて気が滅入らないのかな。

時計を見ると5時を過ぎていた。勤務時間は特に決まっていないが、仕事が無いときは毎日ほぼこのくらいの時刻に帰っている。コナツはデスク周辺を整理し、セトさんの書斎を出た。

「小隊長、お帰りでありますか」。リビングでテレビを見ていたセトさんのムスコが声をかけてくる。「うむ。本日の任務は終了したので帰還する。アニメを見るときは部屋を明るくしてテレビから離れるように、などというウソに惑わされるなよ」「らじゃー!」

セトさんが手を拭きながらキッチンから出てくる。「おつかれさま。来週はちょっと忙しくなりそうよ。さっき電話があったの。明日午後、編集部に打ち合わせに行くことになったんだけど同行してもらえますか」「もちろんです」「じゃあ。明日」「失礼します」

徒歩で帰宅する途中、以前勤めていた花屋の前を通る。中を覗くとバイト君が接客中だ。声はかけずにおこう。

自分の部屋に灯りが点いているのはいいもんだな。コナツはちょっと楽しい。ダークな物語に侵食された気分で夜を過ごすハメにならなくてよかった。

マンションのドアを開けるとおいしそうなニオイがしているのでコナツは驚く。入っていくとキッチンに背の高い少年がいる。

「あ、おかえりなさい」「ただいま、って、なにやってるの」「夕飯のようなものを」「あはは。なに、突然。なになに、なに作ってるの?」「いや、食べられるかどうか現時点では不明なんだけど」「すっごいいいニオイしてるよ。びっくり。おっかしー」

コナツは少年に両腕を巻きつけて電子レンジの中を覗きこむ。蒸気を吐きながら回転している耐熱ボウルの中に入っているのはジャガイモと牛肉だろうか。

「ごはんも、もうすぐ炊けます」「うわあ、どーしたの?料理できるんだ。すごいね。いつから?」「覚え始めたばっかり。まだなんにもわかりませんよ。え?」

少年はコナツの涙に気付いて驚いている。「あ。なんかさ、嬉しくて。いいね。なんかよくわかんないけど、こんなことがあるなんて。なんか、すごい、いいね」

少年はコナツを抱きしめキスをする。

さきほどまで聞こえた道路工事の騒音が止む。あたしの時間が止まる。

ふたりの長いキスは、レンジの加熱終了を告げる電子音で中断させられる。「味見、してもらえますか」。少年が作成した肉じゃががしょっぱかったのは自分の涙のせいかもしれない。「おいしい。あったかいね。料理ってあったかいや」

幸せな食事のあと、コナツは少年にもたれている。「疲れてるみたいですね」「気持ちが、ね。なんだか滅入る一日だったんだ。とびっきりダークな世界に浸りこんじゃって」

「ベッドに行きましょうか」「忘れさせてくれるかな。昼間のなにもかも、全部」「かしこまりました」

ベッドに横たわったコナツは、少年の目を見上げる。この包容力はなんだろう。こいつはまるであたしの守護神みたいだな。高校生のくせに。今日も甘えさせてね。

「お願い。みんな吹き飛ばして。あたしを月までぶっ飛ばして」

「冥王星を見させてあげますよ」。少年はコナツを覆った。


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