父娘 作:まりえしーる 発表日: 2005/10/15 12:30

あいつに会ったのは、俺がまだ独立する前、ある組織の下っ端だった頃のことだ。当時俺がまかされていた仕事は借金の取立てだ。ギャンブルにハマったヤロウとか、カード破産の買い物依存症オンナとか、事業に行き詰った経営者とか、ただのバカとかが相手だ。自力で返せるはずの無い連中を追い込んで、そいつらの家族や親戚や知り合いや他の業者から金を引き出してこさせる。そんな仕事だ。あいつの親もどこにでもいるような、多重債務を抱えたヤツだった。だから俺たちが出会ったきっかけは、あいつが親と住んでるアパートが俺の巡回リストに載ってた、ただそれだけのことだ。

そのアパートに取立てに行くたびに、小学校低学年くらいの女の子を見かけた。それがあいつだ。きたねえかっこしてんだけど妙に整った顔しててな。なんでも見透かしてるような目をしてて。そのアパートに通っているうちに、そのガキが、俺が追い込んでる男の娘らしいってことがわかってきた。俺が部屋の前で怒鳴って、居留守を使ってる親を脅かしてる間、娘はアパートの階段や前の通りにいて嵐が通り過ぎるのを待ってるみたいだった。ガキから見れば、俺は嫌がらせにやってくるこわいオジサンのはずなんだが、その娘は淡々としていた。俺を怖がるそぶりも嫌うそぶりも見せず、小さなナイフで拾った枝を削ってるか、じっと地面を見てるかだった。まるで自分の親がやらかした失敗がわかっていて、追い込まれるのもしょうがないや、とでも考えてるみたいだった。俺のことも、与えられた業務をこなしているひと、くらいに思ってたんだろうか。

俺はだんだん、その醒めた娘に興味を持ち始めたんだ。で、あるときその娘に話しかけてみた。

「な、いつもなに作ってんだ」「なにも」「だっていつも枝とか削ってるだろ」「レンシュー」「レンシュー?なんの」「切るレンシュー」

やっぱガキの考えてることはわかんねえ。それでハナシを切り上げた。近くで見た娘のナイフは古びたもので、サビが目立った。親がこいつに与えたオモチャはこれだけなのか。そのことが俺の心に妙にひっかかった。

ある日俺は事務所に転がってた誰かの使い古しのポケットストーン、つまり携帯用の砥石をなんとなく持って出かけ、その娘にやろうとした。

「その刃先じゃ切れねーだろ。こいつで砥いでみな」「いらない。切れるナイフじゃレンシューにならない」「なんだそりゃ」

口数の少ない娘が吐いたコトバから推測すると、どうやら娘は、切る対象の本質を見抜けば、たとえ切れ味の悪いナイフを使っていても苦労せずに切れる、と考えているらしかった。枝や木片の性質を読んで、どう切断するのがベストかを考える練習のためには、なまったナイフのほうがいい、と考えているらしかった。

変わったガキだ。俺は聞かずにはいられなかった。「なんでそんな練習しようって思うんだ」

「エンピツが、大切だから」

それを聞いて俺は、不覚にも涙が出そうになっちまった。こいつの親は、ふたりそろってギャンブルにはまったバカだ。親がダメだと子供は早くオトナになる、ってことがあるんだろうか。俺の両親はダメなやつらで、おかげで俺もダメなヤツになっちまった。俺はそんなクチだからよくわからない。

次に会ったとき娘は意外なことを言ってきた。「おじさん、こないだの石、まだ持ってるかな」

幸い、砥石はポケットに入れたままだった。「切れないナイフのほうがいいんじゃなかったのか」「今日からは刃先のベンキョーしたいから」

俺は娘の隣に座り込んでポケットストーンでナイフを砥ぐやりかたを教えてやった。「ナイフじゃなくて砥石のほうを動かすんだ。手を切るなよ」「そんなユルいこすりかたでいいの」「ああ。こんなちっこい石はタッチアップ、わかんねーかな、つまり、ちょっとの間だけ切れ味がよくなるようにするためのもんだから、こすり過ぎはダメなんだ。ホントにナマっちまったら、もっとでかいベンチストーンでホーニングしなきゃな、ってこれもわかんねーか」「うん。わかんない」

ガキに専門的な説明をするってことのむずかしさを、俺は知った。ただ娘の目は輝いていた。「すごいね、いっぱい知ってるんだね。ナイフはベンキョーすることがいっぱいだ」

ヘンなガキだ。でもかわいいやつだ。俺はなんだかこのガキが好きになってしまった。

そうはいっても仕事はこなさなきゃいかん。娘の親への追い込みも、そろそろ結果を求められる頃合になっていた。ドアの前で粘る時間を延ばし、脅しの電話の回数も倍にした。

数日後アパートを訪れた俺は、外に娘が見当たらないのが気になった。ターゲットの部屋の前に着くと、中から女の子の悲鳴と大きな物音が聞こえ、すぐ消えた。俺は何かわからないせっぱつまった物を感じ、脱いだ靴で玄関横の窓ガラスを割ってロックを外し、部屋の中に飛び込んだ。浴室らしい場所から夫婦が俺を振り返る。娘はどこだ。夫婦が中腰で両手を下に伸ばしているのはなぜだ。侵入者がいるってのになぜ首だけこっちに向けている。なぜカラダをこっちに向けない。なぜバスタブに両腕を突っ込んでいる。俺は浴室にダッシュした。

「てめーらなんてことしてやがんだ。てめーらが死ね。俺が殺してやる」

そこで初めて夫婦はバスタブから手を抜いた。俺はふたりをかきわけ、バスタブに沈んだ娘を引き上げた。夫婦は部屋から走って逃げていったが、俺はそれどころじゃない。ぐったりした娘に人工呼吸をしてやると、激しく咳き込みはじめた。水を吐かせてから俺は娘を抱いて病院に走った。

その日の夜、逃げた夫婦が死体で発見されたことをニュースで知った。報道は借金を苦にした無理心中と伝えた。だが果たして最初から、娘を殺したのちに自分たちも死ぬつもりだったのかどうかはわからない。他人の行動ってやつは、わかった気になることがあっても、わかることは絶対にない。

俺は顔見知りの刑事に頭を下げ、娘に関する情報を集めてもらった。俺は必死だった。なぜかは自分でもわからない。そして、娘には頼れる親戚も無いらしいこと、そのため施設に預けられることになるだろうということ、などを知った。

周囲から狂人扱いされるのを承知で、組織に出入りしている弁護士に相談した。案の定、俺がやろうとしていることをウワサに聞いた連中は一様に俺を笑った。嘲笑、ウェルカムだ。一度カミングアウトしちまえば怖いものはなくなる。吹っ切れた俺は、あの娘を引き取るために奔走した。

世の中、苦労が報われることも時にはあるらしく、俺はあいつを養女として迎えることができた。あいつが俺の申し出に応じてくれたこと、あれほどうれしかったことは他にない。でもあいつは何故、俺の娘になることを受け入れたんだろう。俺のことを、両親をあんな行動に走らせた張本人と思わなかったのは何故なんだろう。そのへんのヤツのキモチは俺にはわからない。

「お前が成人するまで、俺はお前の親の代わりをやる。それだけだ」、そう言った俺にカゲミが返したコトバはなんだと思う。

「重畳」

ヘンなガキだ。昔も、今も。


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